昨日も書きましたが、岡野守也さんの「道元のコスモロジー―『正法眼蔵』の核心」(大法輪閣)を少しずつ読んでいます。
岡野さんの解説されている道元思想の核心、「世界・宇宙のすべてが一体であり、根源的に肯定されているという「全肯定・絶対肯定の思想」」はとても新鮮に感じます。
子供の頃から試験や部活などで競争させられてきました。
競争に勝つためには勉強や練習が必要ですし、怠けることは否定されますよね。
試験や部活だけでなく、ダメ出しを食らう場面はたくさんあります。
こういう経験を経て、自分を否定したり自分にダメ出ししたりすることが当たり前になって行くんじゃないでしょうか。
そんな中、「根源的に肯定されているという「全肯定・絶対肯定の思想」」」という言い回しは、とても魅力的に映ります。
とはいうものの、根源的に肯定するためにはどのようなことをすればいいかは今後の課題です。
本には次のように、根源的に肯定された際の例が記されています。
「確かに覚ってもやはり悲しい時は悲しい、落ち込む時は落ち込む。しかし、覚る前と覚ってからとでは、同じ落ち込みでも質が違うのである。
どう違うかというと、覚る前は、落ち込みたくない、落ち込んではならないと思いつつ落ち込む。覚った後は、落ち込んだ時、「あ、落ち込んでいるな、落ち込んでいいのだ」と思いながら落ち込むのである。落ち込むこと自体にさえ根源的な肯定感があって、今はやはり憂うつだ、今はやはり悲しいと落ち込むことができる。」
このような境地には中々なれるものではないと思いますが、少なくとも今までのように自分を否定する以外の方法があるということは、いつも意識したいと思っています。