祭りなどで普遍的無意識が反応するならば同じように反応するものを探してみます

今日は天神に打ち合わせに行ったので、ジュンク堂書店に寄って、最近ハマっているユングと河合隼雄さんの心理療法に関連する本を物色していました。

昨日「心理療法論」(みすず書房)を読んでいて、ユングが夢の解釈に必要な知識として、未開人の心理学・神話学・考古学・比較宗教史を知ることが必要と書いているのを見て、自分が象徴マニアだったことが分かったと書きました。

どうりで私は、若桑みどりさんのイコノロジー論や、小松和彦さんの憑き物や妖怪の研究などに惹かれるわけです。

さらに、象徴やイメージといったもので遊べるものは何でも好きなのかなと考えていたら、学生の頃から触っているパソコンなんていくらでも遊べるし、象徴やイメージを受け止める懐は底なしかもしれない、と思い至りました。

そんなことを考えながら、冒頭で書いたように本を物色していたら、河合隼雄さんの「イメージの心理学」(青土社)という本を発見。おぉ、考えていたことそのままのタイトルじゃないですか。

しかし、心理療法に関する読みかけの本が何冊かあるので、今日は帰りました。

本屋さんを出て、先程の本が気になったのでインターネットで書評を調べてみると、次のような内容に目が留まりました。

何でも古来からの儀式や祭りには、普遍的無意識との対話となるような要素が含まれており、その機会を排除した結果、現代人は心身症を発症しやすくなったのだとか。

なるほど。子供の頃から、宗教的な儀式やお祭りなどには恐ろしさや不気味さのようなものを感じていたのですが、それは無意識が対話をしていたんですね。

さらにいえば、無意識が楽しんでいたりパワーをもらったりしているのかもしれません。

儀式や祭りでどのように感じていたかを思い出しながら、若桑さんや小松さんなどの本を始め、日常生活で同じ感じになれるものがないか意識してみようと思います。