心理療法の事例から自分の物語を生み出す面白さにはまっているのかもしれません

以前より、河合隼雄さんの「〈心理療法〉コレクション」(岩波現代文庫)というシリーズを少しずつ読み進めています。

最初シリーズの一冊、「カウンセリングの実際」を読んでみたら、あまりの面白さに全六冊を揃えてしまいました。

何故面白いのかというと自分がカウンセリングを受けているような気分になるから、みたいなことをブログに書いた記憶があります。

今日シリーズの一冊、「心理療法序説」を読んていたら、その理由について書かれている箇所を見つけました。

「第11章 心理療法家の訓練」の「3 事例研究の意義」に、例えば「不登校という現象を研究しようとする場合」、調査によって一般的傾向が分かっても、「ある特定の生徒に向き合ったとき」あまり役に立たないとあります。

長いですが、以下抜粋です。

「そこで、個々の事例をできるだけ詳しく発表する事例研究ということが行われるようになった。それをはじめてみると、それが相当に「有用」であることがわかってきた。しかも、それはたとえば対人恐怖の事例を聞くと対人恐怖の治療にのみ役に立つのではなく、他の症例にも役立つのである。 (中略) 臨床の知を築く上で極めて重要なことは、主体者の体験の重視であり、その「知」は内的体験をも含めたものなのである。従って、その「知」を伝えるときは、事実を事実として伝えるのみではなく、その事実に伴う内的体験を伝え、主体的な「動き」を相手に誘発する必要が生じてくるのである。 (中略) 優秀な事例報告が、そのような個々の事実をこえて、普遍的な意味をもつのは、それが「物語」として提供されており、その受手の内部にあらたな物語を呼び起こす動機(ムーヴ)を伝えてくれるからなのである。」

私は治療者ではありませんが、神経症の治療を受けていたので、「〈心理療法〉コレクション」などに掲載されている事例をもとに、自分の物語を生み出す面白さを感じているのかもしれません。

何度か読み返すうちに、このシリーズを面白く思ってしまう理由がもう少しはっきり分かるようになると思います。