今日、河合隼雄著「ユング心理学と仏教」(岩波現代文庫)の最後の章、「現代人と宗教」を読んでいました。
河合さんは「宗教の大切なひとつの役割」として次のように書かれています。
「それは人間に安心を与えてくれる。今生きている生が有限のものではなく、何らかの意味で永続性をもつ。言いかえると、生きている間だけではなく死後のことも保証されるわけである。」
もちろんそのことを否定する人がいることを承知の上で、民俗学者の柳田国男さんやユングがアメリカ先住民のプエブロ族を訪ねたときのエピソードを紹介されています。
私はプロテスタント系の学校に通っていたのですが、牧師さんの息子の同級生が「やっと(キリスト教の)○○のことを信じられるようになった」と話すのを聞いたとき、信仰がある人は強いだろうなと思ったものです。
河合さんは最後の方で次のように結論付けられています。
「ここでわれわれは、すでに述べてきたように、現在における宗教の必要性を認めるにしても、それをすぐに特定の宗教や宗派に結びつけることなく、あくまで個人としての宗教性を深めることを重要と考えてみてはどうであろうか。ここで、既成の宗教と区別する上において、宗教性とそれを呼ぶことにする。特定の宗教を信じないにしても、まず、自分という存在が何につながり、何を支えとしているのか、それはどれほどの永続性をもつものかについて考えてみてはどうか。」
そして河合さんは、「これを助けてくれるものとして、人間は古くから多くの神話をもっている」とした上で、「自分にふさわしい神話を見出さねばならない、と言うよりは、神話を生きると表現した方がいいであろう」と提案されています。
このように説明されると分かりやすいですね。
私も随分前から支えとなるものを探していましたが、ブログによく書いているように、今は唯識仏教と易経が心の拠り所になっています。
将来はどうなるか分かりませんが、安心を得たい気持ちは変わらないでしょうから、支えとなるものを探し続けるだろうと思っています。