潜在意識

日頃から無意識にやっていることは得意なことなんだと意識するための口癖です

昨日は、自分にとってよくない思考の癖をなおしたいと思って、自分の希望する言葉を口癖にしようと試みても、潜在意識が納得していなければ上手く行かないというお話をしました。

そのような反省をもとに最近口癖にしようと思ったのは、人から見ると「そんなこと・・・」といわれてしまいそうな普通のことですが、自分にとっては子供の頃から無意識にやっていること。客観的に見ればそれが得意なことなんだと思います。

昔小学校の先生を退職した人から聞いたのですが、教員の中にはそれほど子供が好きではない人がいて、やはり苦労しているようなところがあったらしい。今の学校ではどうなのか分かりませんが。

昨日書きましたが、私はゲームが大好きというわけではなかったので、この話はある程度納得できます。

自分では子供の頃から人並みにゲームは好きだと思っていましたし、ゲームセンターでたくさんお金を使ったゲームはいくつもあります。

しかしそれを職業にするというのはちょっと違うと思います。

これも経験したからそういえるのですが、もう少しちゃんと意識していれば、もっと早く別の道に進めたんじゃないかとも思います。

口癖を定着させるには潜在意識が納得していなければ難しいと思いました

つい先日、よくない思考の癖をなおしたいときに口癖は効果があるということや、最近続きそうな口癖がある、というようなことを書きました。

しかしいったそばから、その言葉は口癖にならなさそうな気がしてきました。

心が喜ぶからやってみよう、みたいなポジティブなイメージの言葉だったのですが、いかんせん実際に心は喜んでいなかったようです。

いくら口癖にしたくても、潜在意識が納得していなければ口癖にならないのは何度も経験していることです。

以前書いた「がんばらない」や「他人に期待しない」などは、子供の頃から染み付いた思考の癖ではとても納得出来ない言葉ですが、潜在意識の方は納得しているのでしょうから、口癖も定着するのだと思います。

最近口癖を定着させたいなと思っているのは、自分の得意なことを心に納得させること。

得意なことといっても、人から見れば「そんなこと・・・」といわれてしまうようなよくあることですが、自分でも同じように軽蔑しているところがあるために、その得意なことを活かし切れていないように思ったからです。

私は20代から30代にかけてゲームディレクターをしていましたが、ゲームのサウンド作成から業界に入った流れでその仕事に就いたのであり、ゲームが大好きというわけではありませんでした。

最近二、三続きそうな口癖候補が見つかったので育ててみようと思っています

昨日は自分にとってよくない思考の癖を、口癖によって修正できるかもしれないというお話をしました。

ただ、そのような口癖を増やそうとしてもなかなか増えないというか、身に付かないということも課題でした。

そんな中、最近やっと二、三身に付きそうな口癖候補ができました。

今までそのような候補が山ほどあったのですが一つも身に付かなかったので、身にも付かない内から宣言してもしょうがないのですが、タモリさんのおっしゃった「他人に期待しない」というのが自分の中でかなりいい感じになっています。

ほとんどの人にとって「そんなこと・・・」と呆れられそうですが、人によって認知の歪みというかおかしな思考というのは違うので、私にとってはとても効果がありそうなんですね。

今までムッとしてきたことやストレスを感じてきたことの一つが、期待していたのにそうならなかったことにありそうだ、ということが分かったのです。

もちろん、一緒に仕事をしている人たちが締め切りを守らなくても気にしないとか、契約書で交わしたことを無視しても構わない、なんてことではありません。

口癖を変えることによる効果は確かにあると思います

口癖を変えると性格が変わる、何てことをよく聞きます。

性格が変わったかどうかは分かりませんが、「頑張らない」という言葉はもう何年も口癖になっています。

私が子供の頃、「巨人の星」や「アタックNo.1」などの根性もののアニメが流行っていて、世間もそういう風潮だったためか、「頑張る」という言葉が潜在意識に刷り込まれてしまったように思います。

30代で心の病気になってしばらく休養したあとに、自分の考え方に偏りがないか考えた時期があるのですが、この「頑張る」という言葉はよく口に出していたことに気が付きました。

「頑張る」という言葉は暗示のようなもので、向いていないことでも心が拒否していることでも、この言葉を口にすると思考停止して行動に移してしまうようなところがあります。

あるときそれに気づいて、自分にとってこの口癖はよくないので、これとは逆に「頑張らない」という言葉を口癖にしてみようと思い立ったんですね。

何ヶ月かかったか一年以上かかったが覚えていないのですが、「頑張らない」は何気なく口をついて出るようになりました。

この言葉を無意識にいったあとに、「あれ、今向いていないことや、やりたくないことをやっているんじゃないか」という自分を省みるような意識が働きます。

思い入れがあるものはちょっとしたことで嫌いになってしまうのかもしれません

昨日は、「関ジャム 完全燃SHOW」で先月放送されたヴァイオリン特集は最後まで面白く見たのに、前回の音楽の教科書について解説する回は、すぐにチャンネルを替えてしまったというお話をしました。

自分でもこの反応の違いにちょっと驚いてしまったのですが、音楽は感情に大きな影響を与えるので、苦手な学校の試験の記憶がよみがえってしまって、心が拒否反応を起こしたんですね。

学校の試験は本当に嫌でした。

昨日は、最近ロマン派の音楽はほとんど聴いていなかったとも書きましたが、これも感情の問題だと思います。

ロマン派の音楽はメロディも和声もとても印象的で、しっかり記憶に刻み付けられるので、その曲を聴いていた当時のことを思い出すこともあります。しかも揺さぶられる感情の振れ幅が大きい。

私が特殊なのかもしれませんが、聴いていて疲てしまうのです。

今でも聴けばとても感動すんですよ。

このようなことはあまり考えたことはありませんが、人間思い入れが強いものには、より敏感になってしまうんじゃないでしょうか。

私は大学の頃にクラシック音楽を視聴するサークルに入っていて、そこにはクラシック音楽に対する情熱に溢れた人たちがたくさんいました。

たまに音楽に興味がないのかもしれないと思ってしまうときがあります

市民オーケストラに所属している知人から、定期演奏会のチケットをもらいました。

ドビュッシー、サン=サーンス、ベルリオーズのフランスの作曲家特集みたいです。スゴイ。

指揮者や独奏者にはプロの方を呼ぶようですが、団員の方々がアマチュアとは思えないくらい上手いです。

今の市民オーケストラはレベルが高いですね。

チケットを見ると、サン=サーンスの演目は「ヴァイオリン協奏曲 第3番」とのこと。はて、どんな曲だったっけ?

最近ロマン派の音楽はほとんど聴いていなかったものですから、早速CDを引っ張り出して確認してみました。

そうです、そうです。第2楽章がとても美しい旋律で有名な曲です。しばし聴き惚れてしまいました。

このようなときは音楽はすばらしいなと思います。

そんな経験を数日前にしたのですが、昨日たまたまテレビをつけたら「関ジャム 完全燃SHOW」という番組をやっていました。

ミュージシャンが音楽の解説をしてくれるのでたまに見るのですが、この回は音楽の教科書を楽しく見返してみよう、というような内容でした。

目に入ってきたのは滝廉太郎の「花」のハモリを解説しているところ。「春のうららの 隅田川・・・」の曲ですね。

安全基地を口ぐせにすることで辛い状態から早く抜け出せるかもしれません

昨日はよくないと思っている習慣が、口ぐせによってなおりかけていることを書きました。

もちろん、子供の頃から染み付いた意識はそうそう変わるものではありませんし、持って生まれた性格もあると思います。

今でもつい必要以上に頑張ってしまったり、根性で何とかなると思ってしまったりすることは、相変わらずです。

ただ「頑張らない頑張らない・・・」という口ぐせがあるおかげて、ふとわれに返って客観的に見つめようとする姿勢だけは身に付いたように思います。

このようなお話をすると、なおしたいことは何でも口ぐせにすればいいのでは、となりそうですが、そういうことでもないように思います。

私の場合はパニック障害を発症して本当に苦しんだので、自分を追い込むような働き方をしたくない想いは切実で、この口ぐせはすぐに定着したように記憶しています。

この他にもいろいろな口ぐせを試しましたが、今ではほとんど覚えていません。

以前「過敏で傷つきやすい人たち」(幻冬舎新書)という本の中で、著者の岡田尊司さんが安全基地を持つことを薦めていらっしゃったことを受けて、自分なりに考えてみたことを書きました。

そのときに考えた安全基地が、今でも自分の中でいい感じで機能していると感じています。

口ぐせでよくない習慣が直りかけているようです

私が小学生の頃は高度成長時代の終わりの方で、一所懸命働けば豊かになれるとみんなが信じていた時代でした。

確かに仕事もたくさんあったようですし、右肩上がり経済が続くとほとんどの人が思っていたようですから、ローンを組んでマイホームを購入するのもそれほど特別なことではなかったようです。

年金制度も、今のように先行きが見えないなんてこともないので、将来に対してそう不安になることもありません。

そんな世の中であれば、仕事は残業をすればするだけ給料も増えます。

頑張れば頑張るだけ豊かになれる、少々体調が悪くても根性で何とかする、というような意識が日本人の中にあったようです。

アニメでさえ「巨人の星」や「アタックNo.1」などの根性ものがもてはやされていましたから、子供ながらにそれは感じていました。

私は30歳過ぎて体を壊すまで、そのような意識を持っていました。

逆に、頑張っていないときは不安を覚えるような気持ちさえありました。

独立して体を壊すまでの期間が、最も「さあ、頑張るぞ」という気持ちで過ごしていたと思います。

体を壊してからはそれまでの生き方をずいぶん反省しましたし、右肩上がりの経済も終わりを告げ世の中も変わりました。

人生100年の時代になればライバルの話題も今ほど引きずられなくなると思います

昨日も書きましたが、スポーツの世界のライバル関係は、高いレベルで競い合っているのであれば、力が拮抗している時期は長くはなくて、年月が経てばどちらかがそのレベルを保てなくなるのは、当然のことではないでしょうか。

そういう意味では、マスコミや世間で脚光を浴びるほどのライバルというのは、いつまでもその関係がついて回るようであれば、ちょっとかわいそうに感じます。

最年長で活躍を続けるサッカーの三浦知良選手や、40代で表彰台に立ち続けるスキージャンプ界のレジェンド葛西紀明選手など、最初から個人で活躍する方のニュースは純粋にスゴイと感じることができるのですが。

華やかなスポーツの世界ではなく、私たちの人生においても、学校の成績ではアイツに敵わなかったけれど、会社人生では俺の方が出世した、見返してやった、みたいなライバル関係は結構あるように思います。

ちなみにこのような会社の出世競争といったら、40代にはもう決まっているのではないでしょうか。

これは60歳で定年退職して、平均寿命が70代くらいの時代にできた話のような気がします。

近年話題になっているように、人生100年が普通になったとしたら、多くの人が60代でも仕事をしていると思います。

スポーツのライバル関係は人生の中では短い期間だと思います

昨日、来日中のトランプ大統領と安倍首相のゴルフ外交に、プロゴルファーの松山英樹選手も参加してプレーしました。

トランプ大統領が松山選手の参加を熱望して実現したようです。

2、3日前、大リーグで活躍している田中将大投手がヤンキースに残留することがニュースになっていましたが、私はこの二人を見ると、以前ライバル視されていた選手のことを思い出します。

日本人はライバル対決が好きなのか、ストーリーを作ってでもライバル対決を盛り上げようとしている気がします。

みうみまコンビとして知られる、卓球の平野美宇選手と伊藤美誠選手もそうですよね。

伊藤選手の方がオリンピックに出場し、その後の全日本選手権やアジア選手権では平野選手の方が活躍しています。

このような人たちはそれぞれの競技でもトップの選手であり、注目されるのは当然ですが、注目されすぎて気の毒になります。

学生の部活のレベルではなく、遥かに高いレベルで競い合っているライバルですから、ある時期に力が拮抗していても、年月が経てばどちらかがそのレベルを保てなくなるのは、当然のことではないでしょうか。

フィギュアスケートの浅田真央選手やキム・ヨナ選手のように、長い間注目されることの方が珍しいのでしょう。