潜在意識

易経で現代を見る目が変わるのか観察してみたいと思います

もう一つ例を挙げると、六本の爻(こう)はそれぞれ陰陽の定位置があって、一番下は陽、二番目は陰、三番目は陽、・・・というように、交互に正しい位置があります。

もちろん一番下に陰が来る卦もたくさんありますが、本来陽が来るべき場所に陰が来るのは「不正」といって、基本的にあまりいいとはいえないようです。

例えば63番目に来る卦は「既済(きせい)」といって、下から陽陰陽陰陽陰と各爻がすべて正しい位置にある。

これは最高の形なので、最も幸運な卦だと思いますよね。

しかし、これは「少しいい」という解釈なんです。

つまり並びとして完成しているので、あとは衰退しかない、なのであまりいいとはいえない、という解釈のようなのです。

私はこの説明を読んでびっくりしました。

さらに最後の64番目の卦「未済(びせい)」は、既済の反対で、下から陰陽陰陽陰陽とすべて「不正」の位置にあります。

普通ならば最悪のように感じますが、逆に未来があり、前の既済よりはめでたい、という解釈のようなのです。

いいことばかりとか、逆に悪いことばかりというような極端な決め付けはやめるように、ということなのでしょう。

面白いですよね。とても感動しました。

易者さんになる人はすごいなと思ってしまいます

易経には、いろいろなシチュエーションにおける人間関係のことが書かれていて、その一つ一つのエピソードを卦(か)と呼び、全部で64卦あることをお伝えしました。

そして、一つの卦は陰(--)か陽(-)の横棒六本で表現し、その横棒のことを爻(こう)と呼びます。

爻は実世界の人の身分を表していて、一番下は一番低い身分の人で、上に行くほど身分が高くなります。

以前、ソポクレスのギリシア悲劇全七篇の各篇を一つの卦に、登場人物六人を各爻に当てはめて解説した、氷見野良三著「易経入門 孔子がギリシア悲劇を読んだら」(文春新書)という本をご紹介しました。

これから分かるように、六本の爻の内容は卦ごとにそれぞれ違うので、64卦×6爻=384種類の爻があることになります。

私は易経を読み始めてまだ間もないので、正確なことは分かりませんが、易者さんは解説書も見ずに細長い棒の束で、ジャラジャラと占っていらっしゃいます。

当たり前なんでしょうが、64の卦と384の爻を覚えて自分なりの解釈をされているんですよね。スゴイ。

ある易の先生が、ブログで「易の世界は奥深く、一生かかっても学びきれないでしょう」と書いていらっしゃったので、さもありなんと思ってしまいます。

易の考え方は日常生活に役に立つようです

以前、易経の解説書を買ったことを書きましたが、あれから少しずつ読み進めています。

最近ちょっとイラッとしたできごとがあったのですが、以前と比べて気にならなくなったような気がします。

これも易経を読んでいたおかげだと思います・・・なんてことを書いてみたいのですが、そのできごとは大してイラッっとするようなことでもなかったのでしょう。

しかしその際、易経ならばここで怒るのは小人ということなんだろうな、と考えたのは確かです。

易経には、いろいろなシチュエーションにおける人間関係のことが書かれていて、ちゃんとした人や心の狭い人などが次々に登場します。

自分は後者の部類に入るのでしょうが、そのような人たちの例を読んでいくと、何が起こっても「よくあることだ」という気分になるのかもしれません。

易者さんといえば、細長い棒の束を持って、「当たるも八卦、当たらぬも八卦」といいながら占うイメージがあります。

占った結果、64種類の卦(か)とよばれるもののうち、いずれかの結果が出ます。

卦というのは、先ほどあげたシチュエーションのワンエピソードです。

易経には64種類のエピソードが書かれているんですね。

昨日64番目まで一通り読み終わりました。

干支のような周期が心や身体に影響を与えているのかもしれません

音楽にしても、よく聴いている音楽に加えて、ジャズを聴いている時期やロックを聴いている時期もありました。

いつも聴いている音楽に飽きたということもあるのかもしれませんが、それだけではなく、積極的に聴きたい気分になっていたように思います。

それが季節の変化の影響なのか、年齢の変化によるものなのか、それはよく分かりません。

しかし人間も自然の一部ですから、四季の変化があるように、人間にも四季があっていいはずです。

日本人には馴染み深い干支なんて、そのような考え方なんじゃないかと勝手に考えています。

今日、2017年8月17日は丙子の日です。

干支という字の「干」は甲、乙、丙、丁、戊、己、庚、辛、壬、癸の十干。

干支という字の「支」は子、丑、寅、卯、辰、巳、午、未、申、酉、戌、亥の十二支。

干支とはその組み合わせで、甲子、乙丑、丙寅、・・・十番目の癸酉まで来たら十二支の戌が余ります。

なので十干の甲に戻って、甲戌、乙亥、十二支の子に戻って、丙子、丁丑、・・・。

六十番目の癸亥まで来たら、最初の甲子に戻ります。

生まれた年も今日の干支と同じ考え方です。

バイオリズムのように読みたくなる本のジャンルが変わっているようです

ここ数日、易経や華厳のような東洋の思想に関する本の話をしてきました。

数ヶ月前は、マニエリスムやロシア・アヴァンギャルドなど、美術に関する本ばかりを読んでいました。

そのときは、仏教を含む東洋の思想の本はほとんど読まなかった気がします。

自分の読みたくなる本のジャンルは、バイオリズムのように一定期間ごとに変わって行くようです。

私と同じような方も、いらっしゃるのではないかと思います。

一方で、一生ほとんど同じジャンルの本ばかり、という方はいらっしゃるのでしょうか。

その逆に、ジャンルなど全く関係なく、好きな本を手当たり次第に読んでいる人の方が多いのでしょうか。

私の場合は、好きなジャンルはいくつかあって、あるジャンルが飽きたら他のジャンルを、という読み方を繰り返しているようです。

自分の好きな本はいくつかのジャンルに分類できる、と分かったのは40代に入ってからで、バイオリズムのように一定期間ごとに読みたくなるジャンルが変わる、と分かったのは最近です。

そういう意味では、一生ほとんど同じジャンルを読むとか、ジャンルなど全く関係なく読むというように、自分の個性が分かるのは、ある程度年齢が行ってからなのでしょうね。

坐禅をすることもそうですが、心は外的条件や行為に左右されるのですね

アランの幸福論はお坊さんのお話を聞いているようだと書きました。

今日、集英社文庫の解説を読んでみて、改めてその想いを強くしました。

私は嫌なことや悩みがあれば、まず最初に本やインターネットの記事に、その解決方法を求めます。

世の中にはまだ自分の知らない考え方があって、それさえ知れば嫌なことや悩みは一瞬で消えてしまうんじゃないか、という期待があるんですね。

当然、そのような考え方にはほとんど出会うことはありません。

アランの幸福論には、そのような期待を抱かせる箇所はあまりありません。

あなたの抱えている不安や絶望といったものは、実は胃の痛みや寝不足から来るものかもしれないよ、というように、あくまで現実の生活に即した考え方や生き方を示してくれます。

昨日は、禅的な生活と似ているところがあるようだとお話しました。

禅のお坊さんの生活といえば、朝早くから規律正しく掃除や坐禅、食事などをされているように見えます。

そのような修行を通して、心や身体が健全さを取り戻して行く。

仏教の深層心理学といわれる唯識も、その教理をまとめたのは瑜伽行唯識学派という、瑜伽行=ヨガを実践していた学派であって、頭の中だけでできあがった理論ではないのですね。

アランの幸福論はお坊さんのお話を聞いているようなところもあります

昨日は、自分が興味を持っている複数のことが、あるキーワードでつながっているのを発見したとき、何とも愉快な気分になるということをお話しました。

そうなると、興味を持っていることがより楽しくなります。

このようなことも、幸福の一つに加えてもいいのかな、と思ったりします。

Q&Aサイトで、たまに「幸福とは」という質問がされているようですが、私もいくつかのぞいてみたところ、幸福も不幸もただの状態でしかない・・・、という回答に目が留まりました。

なるほどそうですよね。

状態であるということは、幸福でありたいと望むのであれば、そう意識するか行動するかしかない、ということなのだと思います。

昔、齋藤孝さんの「ヒルティの幸福論」(知的生きかた文庫)という本を読んだのですが、ヒルティは「どうすれば幸せを得ることができるか」という問いに対して、「人生の中で”一番長く使う時間”を幸せに過ごすこと」とひとまず回答しています。

その時間というのは、多くの人にとって「仕事」なのであって、「仕事をしている時間を幸福に感じるため」の方法を論じています。

興味を持っていることたちが、あるキーワードでつながっていると愉快な気分になります

鎌田茂雄・上山春平著「無限の世界観 華厳」(角川ソフィア文庫)には、荘子との類似性や、アビダルマや唯識などを網羅していること、易経解釈で有名な程伊川が華厳の思想を参考にしていることなど、とても興味深いことが書かれています。

それでは華厳とはどのようなものであるのか、ということになると、私にはまだよく理解できていません。

この本を何回か読んだり、他の解説書を読んだりして行くうちに、理解できるように思いますので、そのときはまた書きたいと思います。

実は数日前から易経のお話をしていて、いいたかったことは別にあります。

昨日も少し触れたのですが、自分の興味のあることたちは、お互いに無関係なように見えても、実はそれを取りまとめる思想があるものだな、ということなのです。

深層心理への興味から仏教の唯識に至ったときも、河合隼雄さんの著作から明恵上人を知ったときも、玄侑宗久さんの解説から荘子を手に取ったときも、陰陽師などの陰陽五行から易に興味を持ったときも、それぞれが華厳というキーワードでつながっているとは思っていませんでした。

もちろんどんなものでも、こじつけめいたことでつなげることもできるでしょうし、個人の興味のあることなんて似通った範囲でしかないのかもしれません。

「易経入門」をきっかけに六十四卦の解説書と華厳の本を買ってしまいました

易経は面白いと俄然興味がわいてきました。

以前、金谷治さんの「易の話」という本を読んだことを書きましたが、そのときは易経の六十四卦を学んで理解できるか、覚えることができるか、というとちょっと無理だなと思っていました。

ところが今回、氷見野良三さんの「易経入門」を読んでしまったわけです。

ソポクレスのギリシア悲劇七篇について、「作品の主題に沿って、易経の卦でいえば何に当たるかを臆断」するという、それは面白い試みです。

いても立ってもいられず、つい本田濟(わたる)著「易」朝日選書という、650ページ近くもある解説書を買ってしまいました。

全部覚えるなんてとても無理でしょうが、少しずつ学んで行きます。

そのうち易経のことを書く機会もあると思います。

つい買ってしまったつながりで書きますが、先の金谷治さんの「易の話」を読んでいるとき、宋の時代の程伊川という人が、華厳哲学に影響を受けたということが書かれていました。

私は角川ソフィア文庫の仏教の思想シリーズを三冊ほど持っています。

易経の解説がギリシア悲劇の内容に合致することを発見した興味深い本でした

易というのは、易者さんが筮竹(ぜいちく)という細長い棒を使って行う占いの一種です。

占うと、「-」という陽の卦と「--」という陰の卦が、六つ組み合わさった結果がでます。

「当たるも八卦、当たらぬも八卦」という言葉があるように、合計で六十四通りの組み合わせができます。

その六十四通りそれぞれの意味を説明したものが易経です。

氷見さんの「易経入門」は、その六十四卦の一つ「渙(かん)」の意味に、ソポクレスのギリシア悲劇「アンティゴネ」に登場する人物六人が、一つ一つの卦にぴったりと当てはまったという衝撃から生まれた本のようです。

本には「オイディプス王」や「エレクトラ」などの全七篇について解説されています。

確かに六十四卦から選ばれたものに、六人の性格や運命がぴったりと合致しているのは驚きです。

各篇の解説の最後には、東洋の賢者との対話と題して、登場人物が易経の言葉を持って語る東洋人と対話しています。

久々に大変面白い本で、すぐに読み終わってしまいました。

もともとこの著者のお仕事は金融関係で、各国の代表とのシビアな交渉の日々に、易経を読むことで心の平静を保っていた、というようなことが書かれています。

そうですか。いいことを聞いた。