潜在意識

時代によっても人の価値観は変わるもののようです

先日、昭和40年代の歌手やフォークグループの懐かしい動画を見ていて、ああ自分もこのような人を感動させるミュージシャンになりたい、と憧れていた頃を思い出しました。

私が小学生のときの、日本レコード大賞やNHK紅白歌合戦は年末の国民的行事でした。

日本レコード大賞を受賞した曲などは、それはもう日本人が後世まで語り継ぐ宝物のような存在でした。

そんなビッグヒットなんて、まさに私の持っていた価値観の「レガシー=遺すもの」、将来に対して遺すものですよね。

そのような幼い頃の記憶が、ミュージシャンになってヒット曲を出せば一生安泰、みたいなイメージを持つに至った原因かもしれません。

今はもう、国民的ヒット曲などは生まれない時代になってしまいました。

今の子供たちは現実的なので、メジャーデビューできたとしても、さらにヒット曲を出せたとしても、それだけで食って行けるなんてイメージは、持っていないだろうと思います。

さらに最近は、人生100年なんていわれるようになりました。

人生60年、70年の時代、日本レコード大賞が国民的行事だった頃の歌手と、今の歌手とでは、子供たちの憧れといっても、相当意味が違っていると思います。

子供の頃と体質が変わったのは親の影響という方がいらっしゃるかもしれません

自分は心配性だなと、たまに感じるときがありますが、社会生活は問題なく送れていますので、多くの人が持っている程度の心配性だと思っています。

子供の頃からそうだったので、持って生まれたものだと信じ切っていました。

しかし親元を離れて20年近く経って、再び間近で親を見るようになって、親の心配性は普通の範囲を超えているな、と発見したわけです。

親の場合は、心配性すぎて体調まで変わってしまう。

そういう姿を見ると、自分が子供の頃、アレルギー体質だったりよく腹痛を起こしていたのは、もしかすると、親と同じ極度の心配性を無意識に真似したために、体調を崩した結果だったのかもしれない、と気付いたのです。

その証拠に、親元を離れた大学生以降、あれほど悩まされていたアレルギー性鼻炎も、季節の変わり目に少し出るくらいですし、お腹が痛くなることもありません。

もちろん、成長すれば体質が変わることなんて、生理学上(という表現でいいのか分かりませんが)一般的なことなのかもしれません。

もしそうだとしても、親の影響をもろに受ける子供の頃に、親が極度の心配性でオロオロしたり騒いだりしていたら、子供も影響を受けて体調が変化するのは十分ありえることだと思います。

同じ資質を持っていれば子供は親のレベルを真似てしまうのだと思います

昨日、自分の子供の頃の心配性は親の影響だというお話をしました。

しかしそんなことをいったら、心配性なんて多くの人が当てはまるでしょうし、性格は親の遺伝が大きいので当たり前だ、と思われるでしょう。

私のいっていることは、それとは少し違うのです。

以前、子供の頃はアレルギー性鼻炎だったりよくお腹を痛くすることがあったが、成長するにしたがってその症状がほぼなくなった。子供の頃はかなり神経質だったので、その影響があるのかもしれない、という記事を書きました。

昨日は、母親が極度の心配性で、体調まで変わってしまうというお話をしましたが、これって自分の子供の頃と同じじゃないか、と気付いたのです。

自分では、成人してからも、生まれつきの心配性は親の遺伝だな、くらいに考えていました。

しかし福岡に帰ってきて、親と長い時間過ごすようになって、自分はここまで心配性じゃないな、ということを発見したんですね。

私の父親はクルマの洗車を全然しないのに、私はしょっちゅう洗車していた、ということも書きましたが、このように親と全く似ていないことは問題ないのです。

やっかいなのは、親と同じある性格を持っているのだけれど、その程度が、自分は常識の範囲内で、親は常識の範囲を超えていた場合です。

子供の頃の極度の心配性が親の影響だったことが分かりました

先日、母親が暑さで参っていると書きましたが、暑い日は血圧が上がらないとか、こういう蒸し暑い日は上がるとか、いっていることがコロコロ変わります。

昔からそうですが、かなりの心配性です。心配性すぎて体調まで変わってしまう。

糸井重里さんがイトイ新聞のコラムで、自分がやっていること、見ていることは、目に入りやすくなるというようなお話をされていました。

糸井さんのお話の内容とは少し違うのですが、なぜかそれを読んだとき、ああ、自分は母親の影響で極度の心配性だったんだと、改めて確信しました。

それまでも、漠然と親の遺伝かなくらいには考えていたのです。

物心付いたときから、間近で親の行動や発言を見聞きするので、ものごとに対する親の反応、イコール一般的な人間の反応だと思い込んでしまうのですね。

大学から東京に出ていて、40代になって再び親と長い時間を過ごすようになったので、そのことをより強く実感させられました。

本来自分の性格は、親の遺伝であったり、自分固有のものであったりすると思います。

親元を離れて生活を始めたとしても、自分の行動や反応に対して、これは明らかに親の遺伝だなとか、これは遺伝じゃなくて自分固有のものだな、というのは分かると思います。

自分の場合は仕方がないということがあってもいいと思います

若い頃に戻れるとしたら戻りたいか、とか、もし戻れるとしたら何歳の頃に戻りたいか、というような問いは、誰でも一度は考えたことがあるのではないかと思います。

確かにこのような問いは、現在切羽詰った問題を抱えていらっしゃる方にとっては、叶うものであれば叶って欲しいのだろうと思います。

一方で、そのように切羽詰っているわけではない方、私もそうですが、そのような人にとっては、あまり意味のある問いだとは思えません。

どんな人にも重大な岐路はあったと思います。

受験とか就職とか結婚とか、悔やんでも悔やみ切れない失敗をされたかもしれません。

親友や恋人と別れることになったきっかけもそうでしょう。

そのような重大なことの最中は、時間にすると短いですよね。

ところがそれ以外の時間は、本質の変わらない自分という人間が、淡々と生活しているわけです。

例えば、親友と疎遠になるきっかけの大喧嘩の前に戻ったとして、今度は無事に大喧嘩を避けることができた。

そのときはホッとするでしょうが、そもそも大喧嘩に至るまでに、何かしら大きな不満を持っていたのかもしれない。

悩まなくていいことにまで悩んでいた若い頃には戻りたくありません

インターネットで「若い頃に戻りたい」と検索すると、戻りたいとは思わないという意見がかなりあることが分かります。

私も戻りたいとは思いません。

若いがゆえに、悩まなくていいことにまで悩んだり、恥ずかしい行動や発言をしたりしたことは多いです。

話は少し逸れますが、今でもたまに思い出すことがあります。

私が小学校の頃、運動場に全校生徒を集めて、保健所のようなところから来たお姉さんが、歯の磨き方を教える実演がありました。

その際、歯ブラシにタップリ歯磨き粉を付けて、グーの形で歯ブラシをしっかり握って、歯の並びに沿って横にごしごし擦りましょう、と教えられました。

当時歯ブラシのサイズは、今でいう大きめのものしかありませんでした。

今では奥歯まで届く小さな歯ブラシに、少量でいいので歯磨き粉を付けて、ペンを持つように歯ブラシを軽く持ち、歯茎をマッサージするように、横に小刻みに震わせるように磨きましょう、と教えられます。

歯医者さんによっては、歯磨き粉は耳掻き一杯程度でいいという方もいらっしゃいます。

昔と今とでは全然違いますよね。

死ぬときに後悔することと若い頃に戻りたい人

自分が年を取ったせいなのだと思いますが、芸能人の方が亡くなるニュースが目に付くようになりました。

私の知っている方のご親族などに、最近亡くなられる方がいらっしゃったので、余計にそう感じるのですね。

このようなことが続くと、書店でつい「死ぬときに後悔する○○のこと」といった本を手に取ったりします。

書かれていることを見ると、「人間はこういうことで後悔しているのか。自分はそうならないように、ここに書かかれていることをやろう」、とそのときは思います。

しかし、このような、人が後悔する代表的なことは、やろうと思ってもできない代表的なことでもあります。

書いてあること自体は、中年の人であれば、テレビや雑誌や漫画などで一度は目にしたことがあるような気もします。

つまり、遥か昔から人間が共通して感じるもので、繰り返し伝えられてきたものなのでしょう。

それでもやっぱり、自分だけは後悔したくないので、何とか実行するためには・・・というテーマの本があるのですね。

その一方で、ちょっと考え方を変えてみて、死に際して後悔しているときに、タイムマシンが完成するなどして、もう一度若い頃に戻ることができるとしたら、人はどうするのでしょうか。

取り入れたとしても自分に合わなくなったら取り替えればいいと思います

よく、ある言葉を聞いて目からウロコが落ちたとか、人生観が変わったなどという話を聞きますね。座右の銘を見つけた瞬間だと思います。

そういうことは確かにあるのでしょう。

でも、座右の銘にも賞味期限があるのではないかと思うのです。

あるとき見つけた座右の銘が、一生その人の座右の銘であり続けることはないんじゃないか。

人間はそれほど単純ではないと思います。

ヤドカリのように、ある時期までは心の拠り所、居場所として持っているのでしょうが、どこかで自分が変化して、自分の体に合わなくなったら、殻を脱ぎ捨てて次の居場所を探すんじゃないかと思うのです。

歳を重ねるほど、次の居場所を見つけるまでの間隔は長くなって行くのだとは思いますが。

私はその過程の中で、この考えはいいのではないか、と自分なりに納得するものを、短く言葉にして口癖にすることをこの数年間やってきました。

そうやって忘れないように、潜在意識に訴えかけるのですね。

それらは今までお話したように、自分を見つめた結果、無理なく自分に取り入れられるもの、本来の自分に合ったものだと思っています。

人が聞いたら、その一つひとつは普通のこと、当たり前のことばかりです。

学生のとき友達と会話していたような内容のコメントでした

私が小学生の頃、ポルシェ911のミニカーを買ってもらったとき、いつも見慣れている日本車の形とあまりにも違っていて、衝撃を受けたものでした。

中学生になって自動車雑誌を読むようになると、評論家の方たちが、この日本車の何々は欧州車と比べて・・・というように、評価の基準は欧州車にあるようでした。

子供ながらに、セリカやギャランGTOなどをカッコイイなと思っていても、世界のクルマ好きから見ると、ポルシェやフェラーリは絶対的であり、日本のスポーツカーなど全く見向きもされないんだろうな、と思っていたものです。

そのような思い込みにとらわれたまま、この歳まで忘れていたんですね。

そんなときに、昨日書いたYouTubeなどを目にするようになったのです。

先日インターネットで見かけた、海外オークションの日産シーマやセドリックの写真に対するコメントも、大変興味深いものでした。

見た目は80年代、90年代に近所で見かけたクルマそのままで、車高を低くしてあって、どちらかといえばちょっと遊んでいる同級生が好みそうなものでした。

その写真に対する外国の方たちの反応も、当時の私と同年代の人が、カッコイイといっていた発言ととても似ているのです。

国籍が違っても人間の感性はあまり変わらないと実感したこと

日本には多くの外国の方が訪れていますが、東京オリンピックに向けて、ますます多くの方が来日されるのでしょう。

私も福岡でたまに道を聞かれたりしますが、相変わらずドギマギしてしまいます。

同じ人間だから、国籍が違っても考えていることや感じていることはそれほど変わらない、ということを、頭では理解しているつもりなのですが、外国人の友達がいたりしなければ、実感としては分からないのではないでしょうか。

しかしここ数年、意外なところから、人間の感性はあまり変わらないなと感じていることがあります。

北米では中古車を輸入するとき、「25年ルール」といって、国外で製造されたクルマは25年経過しないと輸入できない、という規制があるようですね。

YouTubeなどで、手に入れた中古の日本車を公開している欧米の人を、よく見かけるようになりました。

現行のGT-Rは世界的に人気がありますから、その3世代前のR32と呼ばれているGT-Rが特に注目されているようです。

映画のワイルド・スピードや、ゲームのグランツーリスモの影響もあるのでしょうが、私が驚いているのはそれ以外のクルマです。