子供の頃の極度の心配性が親の影響だったことが分かりました

先日、母親が暑さで参っていると書きましたが、暑い日は血圧が上がらないとか、こういう蒸し暑い日は上がるとか、いっていることがコロコロ変わります。

昔からそうですが、かなりの心配性です。心配性すぎて体調まで変わってしまう。

糸井重里さんがイトイ新聞のコラムで、自分がやっていること、見ていることは、目に入りやすくなるというようなお話をされていました。

糸井さんのお話の内容とは少し違うのですが、なぜかそれを読んだとき、ああ、自分は母親の影響で極度の心配性だったんだと、改めて確信しました。

それまでも、漠然と親の遺伝かなくらいには考えていたのです。

物心付いたときから、間近で親の行動や発言を見聞きするので、ものごとに対する親の反応、イコール一般的な人間の反応だと思い込んでしまうのですね。

大学から東京に出ていて、40代になって再び親と長い時間を過ごすようになったので、そのことをより強く実感させられました。

本来自分の性格は、親の遺伝であったり、自分固有のものであったりすると思います。

親元を離れて生活を始めたとしても、自分の行動や反応に対して、これは明らかに親の遺伝だなとか、これは遺伝じゃなくて自分固有のものだな、というのは分かると思います。

例えば私の父親は、クルマが泥だらけになったとき以外は洗車しなかった人ですが、私がクルマを所有していたときは、しょっちゅう洗車してワックスをかけていました。

これについては、自分でもビックリするくらい父親と違うな、と思っていたものです。