年をとると純粋に自分の興味のあることに向き合うようになるのかもしれません

さきほど親戚の叔父さんから、「嫁さんの方の親戚が亡くなったので年賀状は出せない」という電話がありました。

このような電話や手紙は毎年数件あるのですが、今年は特に多い印象です。

親が高齢ですし、私も仕事の関係上シニアの方とお付き合いがあるので、増えて来るのも当然なんだろうなと思います。

そしてここ数年の間に、同級生や長年お付き合いのあった会社の社長さんが六十代で亡くなられたりしたので、自分もそういう年齢になったということなのでしょう。

ふと思ったのですが、この歳になって、易経や唯識仏教に興味を持つようになったことと関係しているのかもしれません。

京セラの創業者である稲盛和夫さんは、六十歳を超えてから仏門に入られたと聞きます。

このように、ある年齢を超えてから、儒教や仏教などに興味を持つ方は結構いるんじゃないかと思います。

私自身はもともと興味がないことはなかったと思うのですが、若い頃はそれよりもコンピューターやクルマなど、他のことに目が向いていたのだと思います。

考えてみると、若い頃は興味のあることといっても、世の中とのつながりを考えて選択しているんじゃないですかね。

一方で年をとってからは、世の中のつながりはもう関係なく、純粋に自分の興味のあることだけを考えて選択するんじゃないでしょうか。

知人で亡くなる方が増える年齢になったので、無意識に自分の行く末を視野に入れて、後者を選択するようになったのかもしれません。