外山さんのコラムを読んで、考えていないのは本に限ったことじゃないと分かりました

今までこのブログで、私は昔から一つのことに集中できず、興味の赴くままにあっちフラフラこっちフラフラしてしまう悪い癖があることを何度も書いてきました。

昨日インターネットで外山滋比古さんの「読書が役立つのは30代まで」というコラムを読んで、最近ライプニッツの生きた時代背景とか神秘思想への関わりのような本を面白がっていたことに、「ああ、また悪い癖が出た」と反省しました。

肝心のライプニッツの哲学の本を読み返すこともせず、自分の考えを深めることもしていませんでした。

外山さんのご指摘通り、人が書いている知識ばかり取り入れて安心している。自分がない。

興味のあるものの周辺ばかりに手を出して、その中心(本体)をおろそかにしてしまうんですね。楽をしているんだと思います。

これも以前書いたことですが、ある会社にIT関連業務全般のお手伝いで出向していたとき、「あなたの専門は何ですか?」と聞かれて答えられなかったという話をしました。

パソコンを触るのは好きなので、とりあえず広く浅く知識は吸収する。便利屋さんでしかないわけです。

これがプログラマーやシステムエンジニアとしてその会社に出向しているのであれば、即返答できたと思いますし、それ以前にその方はそんな質問をする必要もなかったと思います。

外山滋比古さんの「読書が役立つのは30代まで」というご指摘に耳が痛いです

ここ数日、ダ・ヴィンチ、ニュートン、ライプニッツのような自然科学の礎を築いた人たちと宗教との関係が書かれた本を読んで、記事にしていました。

このような関係に興味を持ったのは、ライプニッツを読むようになったのがきっかけですが、特に三田誠広さんの本には多くの思想や団体が登場して、ますます興味が増しました。

しかし当事者たちがこのような思想や団体に関わっていたのは、純粋に科学原理を追求する目的のためであって、オカルティックなものを信奉したということではなさそうです。

本に紹介されているいくつかの思想をたどって行けば、私が興味を持っている東洋の思想に繋がるようなので、面白いと思ったんですね。

以前、ライプニッツのモナド論と華厳経の関連性を指摘した論文のことを書きましたが、その例でいえば新プラトン主義の哲学者プロティノスを介して、華厳経とライプニッツが繋がっている、というようなことです。

何だか興味の赴くままに本を探して買っていたらきりがないな・・・と思ってインターネットを見ていたら、PRESIDENT Onlineに外山滋比古さんの「94歳が断言"読書が役立つのは30代まで"」というコラムがありました。

外山さんといえは「思考の整理学」(ちくま文庫)。私もずいぶん前に読みました。

宗教がなくなった時代の方がより豊かな想像の世界を持っているのかもしれません

森毅さんや三田誠広さんの本をざっと読んでみて、まだ内容は消化できていませんが、17世紀以前も今の時代も人の心は変わらないという印象だけは受けました。

三田さんの「ダ・ヴィンチの謎 ニュートンの奇跡」(祥伝社新書)によれば、民衆を支配していた宗教、カトリックは神父のいうことだけを信じていればよく、神の原理=科学原理を追求するダ・ヴィンチ、ニュートンのような科学者たちを神秘主義者として否定した。

しかし科学者たちは、神を信じるがゆえに神の原理=科学原理を追求したのだ、ということをおっしゃっています。

森さんの本もそうですが、これらを読む前はニュートンのような17世紀以前の数学者、物理学者は、錬金術のような怪しげなオカルトも研究した魔術師のようなイメージも持っていました。

実際はそうではなく、宇宙の原理を真摯に追求していたらしい。

オカルトのイメージなんて後世の人の脚色ですよね。

以前も、安倍晴明の実像と後世のフィクションに彩られた姿との違いを書きましたが、それと同じです。

ニュートンの時代は産業革命の前の世紀、生活の中にまだ宗教が大部分を占めいていたと思います。

それなのに、21世紀の人間である私が17世紀の科学者に何を期待していたんだろう、と。

森さんの本から17世紀のヨーロッパやライプニッツへの接し方が分かりました

昔から森毅さんのエッセイが大好きで、体を壊して療養中に読んでいたときは、森さんの柔軟な世の中の見方に対して、自分はそれまでずいぶん硬直した考え方をしていたなと反省したものです。

そんな森さんの本、「魔術から数学へ」(講談社学術文庫)にざっと目を通してみて、自分なりに17世紀のヨーロッパやライプニッツへの接し方が分かりました。

森さんは本の中で、ライプニッツの哲学は奥深くてカントに乗りこえられてしまうようなものではないと思うが、ここでそれを論ずるほど学識ゆたかではない、とおっしゃっています。

続けて哲学者にリクエストして、「どなたかライプニッツの解説をして、僕にも少しはわかるようにしてほしい」とも。

もちろん、森さんが「わからない」というレベルは私とは次元が違うのは理解していますし、森さんが分からないなら私がライプニッツを分かるわけがないということも納得できました。

これからは、逆に気楽にライプニッツの哲学に接することができそうです。

驚いたのは森さんが一番憧れているのは17世紀中葉、バロックの最盛期とのこと。

「それは、近代の生まれる混沌の時代であったからだ。」と説明していらっしゃいます。

森毅さんの未読本に出合えたりしてライプニッツを知ってよかったと思います

先日、ライプニッツに注目するようになって、17世紀にとても興味を持ち始めていることを書きました。

彼は数学や科学の分野に多くの業績を残したのですが、最善説のようなものを始めとして、世界を説明する際に神の影響を語ります。

ライプニッツとほぼ同時期に微分積分を発見したニュートンにしても、二人より少し前のデカルトやパスカルにしても同じような宗教色を感じます。

その時代背景を説明してくれそうな本はいろいろあるようですが、手軽そうなところで、森毅さんの「魔術から数学へ」(講談社学術文庫)と三田誠広さんの「ダ・ヴィンチの謎 ニュートンの奇跡」(祥伝社新書)を購入しました。

ざっと目を通してみると、どちらの本も数学と宗教の両面から人物と時代を解説してくれていますが、三田さんの方はより具体的な思想や団体名が示されていて、まさにサスペンス小説を読むように引き込まれてしまいます。

森毅さんの方はスコラ哲学、自然魔術、産業技術、封建貴族と王の官僚としての知識層、その知識層と結びつく商工業者など、より広範な範囲から考察されています。

私は昔から森さんの柔軟な発想と遊び心が大好きで、目に留まったエッセイ本はできるだけ買いましたし、手に入らないものは図書館で目を通しました。

最初にメールの設定をすればあとは忘れていいというのがちょっと怖いです

移行したくないと思う大きな理由は、昔やったメールの設定方法を忘れているというのがあると思います。

メールの設定は最初にやったらそれで終わりです。

自分でやったのか人にやってもらったのかさえ忘れている方もいます。

私の知っている方はまさにそれで、以前○○○.comというドメインを取得して、知人に会社のホームページを作ってもらったことがあるんですね。

そのとき、そのドメインとサーバーを使ってOutlookにinfo@○○○.comというメールアドレスを設定して(もしくは誰かにやってもらって)、名刺にもそのメールアドレスを印刷した。

何年かあとに、別のドメインでホームページを作りなおしたんだけれども、info@○○○.comは名刺にも印刷しているし、お客さんにも知られているメールアドレスだからとそのままにしていました。

あるときサーバー代という名目で請求書が来たとき、info@○○○.comというメールアドレスを設定するためだけに、このサーバーを使っていたことを思い出したんです。

Outlookは他に移行したくないソフトの筆頭のような気がします

私の知り合いやお客さんで、MicrosoftのOutlookというメールソフトを使っている方が結構いらっしゃいます。

たまたまだとは思いますが、それほど仕事でパソコンを使わない方だったり、ITを積極的に活用する必要のない方だったりします。

もちろんOutlookは使いやすく豊富な機能を持っていますので、何の問題もないと思っています。

私はずいぶん前にOutlookからGmailに変えたのですが、そのきっかけは、ハードディスクが壊れたときに環境を再構築するのが面倒だったからです。

このようなときWEBメールだと再構築する必要はありません。

しかし当時のことを思い返してみると、Outlookで特に不便も感じていませんでしたので、ハードディスクが壊れなければその後もしばらく使い続けていたと思います。

仕事も忙しかったですし、別のメーラーをわざわざ覚えるのがかったるかったというのもあります。

同じような理由でWordやExcel、PowerPointを使い続けている方も多いですよね。

無料で使えるGoogleのG Suiteや、オープンソースのオフィスソフトがあるにも関わらず。

高齢になって対応できるように現役のうちに新しいものに触れられたらいいのですが

昨日書いたような父の状況を見て、ちょっと考えてしまいました。

父が退職する前後の頃に使っていたワープロがたまたまワープロ専用機で、その父が高齢者になったときにそれが壊れてしまったら、もう手に入らない家電なんですよね。

これからワープロを使い続けて行こうと思ったら、ワープロ専用機で違う機種の中古を探すか、新しくパソコンを覚えるかくらいしかありません。

どちらにしろ、この年でそうなってしまったら新しい機材への対応は難しいと思います。

自分の場合も今はパソコンが扱えていますが、高齢者になって同じような状況になったとき、私は対応できるのでしょうか。

ASK アクティブシニア交流会会員の方の平均年齢は70代とお聞きしているのですが、西村会長を始め役員の方はITにとても興味をお持ちで、勉強会なども定期的に開いていらっしゃいます。

ということは、まったく新しい入力/表現装置が誕生してパソコンに取って代わっても、私がまだ70代ならば対応できるのかもしれません。

一方で、父がASK会員の方と同じ70代のときパソコンに興味を持って覚えようとしていたかというと、その気はなかったから今に至るわけです。

四半世紀以上前のワープロが今でも使えていたことに驚きました

父が使っていたSHARPのワープロ「書院」の液晶がほとんど見えなくなった、ということで修理できるか調べてみました。

確か10年くらい前にも、同じ症状で液晶を取り替えてもらった記憶があります。

すでにメーカーでの修理は受け付けていませんでしたので、ワープロ修理専門店にお願いしました。

当時でさえ「書院」というワープロはずいぶん昔の製品というイメージだったので、修理ができることに驚いたものです。

今回複数のワープロ修理専門店に確認しましたが、やはり液晶が入手不可ということで修理はできないとのことでした。

中古ワープロ販売店には、この機種より少し新しい年代のものならば在庫があるとのこと。

父が操作に慣れることができるかということも考慮する必要があるので、どうするかしばらく検討したいところです。

SHARPのホームページ「書院シリーズ、アイプリメーラ 補修用性能部品の保有期限」によると、この機種の発売年月は1992年と書いてあります。

Windows 95どころかWindows 3.1の時代です。

宗教と科学が対立したものではないことが理解できそうです

昨日は、自然科学の分野に大きな功績を残したニュートンやライプニッツが錬金術にも興味を持っていたことから、「多分この時代の人は、神と科学が共存していたんだと思います」なんてことを、したり顔で書きました。

しかし、今日そのようなことについて書かれた本がないか探してみたら、たくさんありました。昔からよく知られたことなのでしょう。恥ずかしい・・・。

忙しいのに、お手軽なところで文庫と新書を一冊ずつ買ってしまいました。ちょっと読みかじってそのあと積読になりそうです。

文庫の方は、私の大好きな数学者でエッセイスト、森毅さんの「魔術から数学へ」(講談社学術文庫)。

新書の方は、芥川賞作家で宗教にも造詣が深い三田誠広さんの「ダ・ヴィンチの謎 ニュートンの奇跡」(祥伝社新書)。

そのうちこのブログで書くことがあるかもしれません。

読者のレビューを拝見しましたが、宗教と科学との密接な関係に驚かれている方もいらっしゃいます。

そもそも17世紀に興味を持ったのは、なぜあれほど論理的な思考を持つライプニッツが、多くの場面で当然のごとく神の影響を説いているのか、その時代背景を知りたかったんですね。

PR:カウンセリング・EAP専用チャット管理者となって利用者を見守るチャット