クルマについて

70年以降にリストからアメ車が減ったのを見て80年代の貿易摩擦を思い出しました

昨日はBUSINESS INSIDER JAPANというWebサイトに掲載されていた、1950年から2018年までの各年に選ばれた「最もクールな車」という記事について、思ったことを書きました。

実は他にも思ったことがあって、それは1950年代と60年代は二台に一台をアメリカ車が占めていたのに、1970年以降その比率が減ったことです。

私は子供だったので当時のことはよく分からないのですが、1960年代まではアメ車の黄金時代だったのかもしれません。

1908年から大量生産による手頃な価格で大ヒットしたT型フォードや、第二次世界大戦で軍用車両として使われたジープなど、その頃のアメ車の生産量は圧倒的だったんじゃないでしょうか。

それが1970年以降このリストからアメ車の比率が減って行ったのは、1973年から始まるオイルショックやマスキー法という排ガス規制法の影響が大きいのでしょうか。

1959年のキャデラック エルドラドや1961年のリンカーン コンチネンタルなど、今のクルマと比べるとビックリするほど巨大です。

オイルショックのとき、ホンダ・シビックがCVCCという低公害エンジンによって世界で最初にマスキー法をクリアしたということは、日本でも大きく報道されていたと思います。

「○○で使われたクルマなら知っている」といわれるような日本車が増えるとうれしいです

BUSINESS INSIDER JAPANというWebサイトに、1950年から2018年までの各年に「最もクールな車」という記事が掲載されていました。

どのような基準で選ばれているかは分からなかったのですが、とても懐かしいクルマばかりだったので、楽しく拝見させていただきました。

1990年代になると日本車が顔を出してきますし、2010年代になるとテスラのような電気を動力としたクルマも出てきます。

しかしそれ以前になると、クルマ好きの人でないと知らないクルマの方が多いのではないかと思います。

そんな中でも、例えば1955年のメルセデス・ベンツ 300SLは石原裕次郎さんの愛車として往年のファンならばご存知かもしれませんし、1958年のフィアット 500はルパン三世でルパンが乗っていたクルマとして見覚えがあるでしょう。

1960年のミニは私はミスター・ビーンの愛車として覚えていますし、1964年のアストンマーティン DB5は007 ゴールドフィンガーなどのボンドカーとして有名でしょう。

日本車の信頼性は高い評価を得ていますが今後それが維持できるかちょっと心配です

昨日は地上波でル・マンやF1が中継されなくなったと書きましたが、日曜日の夜にはテレビ東京系で、主にSUPER GTという国内レースの情報を伝える「スーパーGTプラス」という番組が放送されていますし、鈴鹿サーキットでは毎年F1日本グランプリが行われています。

欧米ほど歴史は古くありませんが、第1回日本グランプリ自動車レース大会が開催されたのが1963年ですから、日本はもともと自動車レースが盛んだと思います。

記憶に新しいのは、2007年に佐藤琢磨選手がスペインF1グランプリで8位入賞したこと。

これに価値があるのは、国産のホンダエンジン、ブリヂストンタイヤを使うプライベートチーム(鈴木亜久里率いる「スーパーアグリ」)が達成したことにあります。当時は大きな話題になりました。

こういうのは欧米のプライベートチームの話題ですよね。

国際自動車レースでの日本車や日本人の活躍と歩調を合わせるように、今や国産の乗用車の信頼性に対する評価はずいぶん上がったと思います。

海外の一流自動車メーカーと、トップを争うような位置にいるのではないでしょうか。

このようなことから考えてみると、日本人は信頼性のあるクルマ作りという点では、向いているんじゃないかと思います。

昔ル・マンやF1がテレビ中継されていたことを思い出しました

今年のル・マン24時間レースでトヨタが優勝しましたね。

今年はポルシェが撤退したために、最高峰のLMP1クラスで唯一のメーカーワークスだったということですが、それでもあのル・マンで優勝です。

2016年はゴール3分前に停止して優勝を逃したことが話題になりました。

それほど過酷で何が起こるか分からないレースです。

しかもドライバーの一人は中嶋一貴さん。日本人ドライバーがドライブしての優勝は初めてです。

本当にすごいことだと思います。

今まで優勝した日本のメーカーは1991年のマツダだけでした。

そのときのクルマ、マツダ787Bがデモンストレーションで走るたびに、「ルマンで優勝した唯一の日本車」と紹介されてきたのですが、それももうなくなりますね。

マツダが優勝した翌日の新聞に、メルセデス・ベンツ社が「マツダおめでとう」という広告を出していたことを記憶しています。

「ル・マンで勝つことの難しさを私たちは知っています」というような内容だったと思います。

マツダの優勝で思い出したのですが、1980年代から1990年代はル・マンやF1は地上波でテレビ中継されていました。

GoogleやAppleが自動車の世界に参入するのは楽しみです

私は子供の頃からクルマ好きだったのですが、私の仕事とは関係のない世界でした。

個人的には、特に1970年代あたりまでのクルマに興味があります。

漫画「頭文字D」に出てくるのはカローラレビン、スプリンタートレノの86型ですよね。

私が子供ながらに、かっこいいと思っていたのは27型でした。

オーバーフェンダーなんて付いていたのは、27以外では、GT-R、240Z、GTOのGSRくらいですよ・・・。

当時のガソリンエンジンやサスペンションなどの技術と、私たちのIT業界との接点なんて、全然ありませんよね。

しかし近年、GoogleやAppleのようなITの大企業が、クルマの世界に参入してきました。

前回までにお話したように、時代に必要とされるクルマの技術とIT企業の技術に、重なる部分が出てきたのでしょう。

クルマとインターネットの連携はますます進むでしょうから、IT企業の得意分野が、一台のクルマの中に、大きな部分を占めるようになって行くと思います。

もちろん、今すぐ私たちのような小さな会社が、クルマに搭載されるアプリなどを作ることはないでしょうが、とても興味深い変化だと思っています。

若者のクルマ離れは理解できます

自分の生活にはクルマの必要性を感じなかったこともあり、若い人たちがクルマに興味を示さない理由は分かるつもりです。

自動車メーカーも、若い人たちにクルマに乗ってもらおうと、あの手この手を使って宣伝しているようですが、クルマにステータスを求めたり、経済が右肩上がりだったり、という時代ではないですから、クルマ離れを止めるのは難しいのではないでしょうか。

昔あれほど車種の多かった、マニュアルミッションの2ドアクーペなんて、今では数えるほどしかありません。

しかし、日本は昔からモータースポーツが盛んな国ですし、クルマ好きの若者も一定数存在し続けるとは思います。

テレビ東京系列で放送されているスーパーGTって、妙に盛り上がっていませんか。

GT-Rとかレクサスとか、レース仕様車かっこいいですよね。

一方で、クルマ好きではなくても、クルマがないと生活に支障をきたす方も多いです。

私の親戚に、80代後半の叔父さんがいるのですが、今でもクルマに乗っています。

家が高台にあり、叔母さんが足が悪いので、どうしても必要なのだろうと思います。

クルマのない高齢者は、公共交通機関に頼らざるを得ませんが、電車やバスの路線廃止という問題もあります。

クルマ好きなのにクルマのない生活を送っていました

私は大学から東京に行き、福岡に戻るまでの十数年間、ついにクルマのない生活を送りました。

上京したときは、バンドなど音楽に夢中でしたので、お金があれば楽器などにつぎ込んでいました。

バブル当時は、私が住んでいた練馬でも、駐車場代が月5万円くらいだったように記憶していますし、都内に住んでいれば、鉄道でどこでも行けましたので、クルマは必要ありませんでした。

連休で福岡に帰省して、中学校時代の同級生に会うと、トヨタ マークⅡのような大きなクルマを乗り回しているんですよね。

福岡にもバスや鉄道はあるじゃないかと思ったのですが、今考えると、彼らは仲間とつるんで、クルマで遊んでいたのではないかと思います。

実は、東京での生活をやめて福岡に戻ってきたとき、一時期ミニクーパーに乗っていました。

キャブレターの1000ccで、ハンドリングはクイックで、モスグリーンで、ユニオンジャックのグリルバッジを付けて・・・、本当に楽しかったです。

あちこちドライブしていました。

しかし、仕事で使っていたかというと、全然それはありませんでした。

打ち合わせに行くときは、バスや地下鉄を使う方が便利なんです。

クルマは若い人の生活に密着していたように思います

団塊の世代の親戚の叔父さんが、若い頃カローラに乗っていて、よく私の実家に遊びに来ては洗車していました。

初代の1100CCだったと記憶しています。

私が小学生の頃、そのクルマに乗せてもらって、当時ブームだったボウリングに連れて行ってもらいました。

中学生、高校生になると、近所の20代のお兄さんたちも、トヨタ カリーナのようなスポーツタイプの中古車を持っていましたので、当時の若者の生活には欠かせないものだったのではないでしょうか。

私もクルマには興味がありましたので、自動車雑誌に掲載されているスカイラインやフェアレディZなどを見ては、大人になったらどれを買おうかな、と夢見ていたものです。

小学生の頃、少年ジャンプに連載されていた「サーキットの狼」のトップページに、名車シリーズのようなコーナーがありました。

あるとき、トヨタ セリカ 2000GTが、排ガス規制のために最後の200km/hカーになる、ということが書いてあり、「今すぐ買いに行かなければ!」と本気であせった記憶があります。

月のお小遣いが、確か500円くらいだったと思います。

クルマの自動運転技術が話題になっています

昨年の年末のニュースですが、ホンダとGoogleが自動運転技術の開発で提携することが発表されました。

「自動運転車」と呼ぶそうですが、トヨタや日産も実用化に向けて開発が続いているようです。

ハイブリッドシステムのトヨタプリウスから始まって、電気自動車の日産リーフなど、エコカーの開発競争が続いていたと思ったら、今度は自動運転車の開発競争に移ってきているようです。

クルマは私たちの生活に欠かせない道具ですが、それだけに、その使い道や消費者の要望が、時代によって変わってくるのは当然なのでしょう。

私が物心ついた頃には、実家に自家用車がありました。三菱自動車のミニカという軽自動車です。

両親は共働きでしたし、私を保育園に送り迎えするのに必要だったのだと思います。

それでも当時は、各家庭に自家用車がある時代ではなかったのではないかと思います。

私が通っていた高校は、福岡市の西新という場所にあったのですが、そこには国鉄筑肥線という鉄道が走っていました。

私は自転車通学でしたので、どれだけの方が利用されていたのかは分かりませんが、まもなく地下鉄の開通とともに、博多駅までの区間が廃線になりました。