自分の心の状態を覚めた目で見ていることがあります

先日もHSP(Highly Sensitive Person)のことを書きましたが、過敏性や不安症などは、重症であれば日常生活で何気なく繰り返される行為でもストレスを感じています。

例えば強迫性障害であれば、手を洗うのがやめられないとか、ドアの鍵をかけたか何度も確認するとか。

それら一つ一つがストレスで、慣れることがないんですね。

自分もそのような傾向を持っていますので、このような気質を「持っていない」人たちが、日頃どのような場面でストレスを感じているのか、あまり意識したことがありませんでした。

糸井さんの文章を読んでそのことに気付いたわけです。

強迫性障害も、重い症状の方になると、何時間も同じ行為に囚われるようなお話を聞きます。

私の場合はそこまでひどくはありません。

いったん仕事を始めたら仕事に集中しますし、面白いテレビを見ているときや好きな音楽を聴いているときなど、時間を忘れることもあります。

このように自分が集中しているときは、向いていることや、好きなことをしているときなのだと思います。

少数派ではない人の心を知る機会がなかったことに気付きました

昨日は糸井重里さんがほぼ日刊イトイ新聞で、「「ストレスの利用法」というようなもの」について書かれていた文章の一部をご紹介しました。

糸井さんといえば、私が学生の頃から、コピーライターとして第一線で活躍されていましたし、テレビの司会などでもよくお見かけしていました。

ほぼ日刊イトイ新聞に活動の拠点を移されてからも、積極的に活動されていましたので、私が存じ上げないだけかもしれないのですが、長い間健康を保たれているように思いますし、何より人とのコミュニケーション能力の高さは、ただただ次元の違いを感じるばかりです。

そのような社会の仕組み作りの一翼を担われている方が、ストレスについて発言されていたので、とても参考になりました。

当たり前のことなんでしょうが、ストレスをちゃんと感じていらっしゃるんですよね。

このような方の感情に触れる機会があまりないので、とても印象に残りました。

昨日も書きましたが、私は少数派と思われるような人たちに関する本や記事を目にすると、興味を持つことが多いですし、自分の中にその人たちの心を理解しようという気持ちを感じます。

その一方で、多数派と思われるような人たちの心を知る機会は、そういえばなかったなと気付きました。

少数派の人たちの心を理解しようという気持ちはあります

ニューロダイバーシティ=脳の多様性という概念を知ったところから、結構長い記事になってしまいました。

私は子供の頃から、社会に対して生きづらさを感じているところがあったので、このような概念が紹介されている記事を見かけると、つい夢中になるんですね。

自分の場合は、パニック障害からウツの症状に陥ってしばらくは、社会生活ができない期間もあったのですが、それが長期化しなかったことはありがたかったと思います。

しかしそのような資質を持っていることは今でも自覚していますし、先の記事のようなものを見かけると興味を持つ自分に気付くので、少数派といわれる人たちの心は、分かるとはとてもいえませんが、理解しようという気持ちはあります。

一方で、多数派といわれる人たちの気持ちですが、そちらの方はあまり理解できるとは思えません。

もちろん「少数派」と「多数派」で二つにくくるのは、乱暴すぎるのは分かっています。

少なくとも人生のレールと呼ばれる場所、学生ならば学校で、社会人ならば職場で、それぞれ何か大きな違和感や障害(人とコミュニケーションが取れないなど)を感じて、長期間家に引きこもるとか、そのレールを外れた世界で生活するような人は、多数派ではないように思います。

自分の安全基地が機能するかどうか観察中です

私も安全基地を自分なりに設定してみました。

やっぱり条件としては、自分の好きなこと、やっていて心地いいこと、というのはいえるんじゃないかと思います。

日常生活において、長時間向き合っていてもそれほど疲れを感じないものや、いつ向き合ってもそれなりに没頭できるものですね。

私の場合、前者はコンピューターを使った作業やこのブログのように文章を書くこと、後者は唯識仏教や民俗学のような人間の深層心理に関するものかな、と思っています。

昨日も書きましたが、このような自分の資質は、何が安全基地かを一番知りたかった20代、30代には分からなかったと思います。

ちなみに、唯識というのは仏教の深層心理学です。

唯識説を唱えたのは瑜伽行(ゆがぎょう)唯識学派という一派で、瑜伽行というのはヨガの修行のことですね。坐禅や瞑想に繋がるもののようです。

岡田さんは本の中で、マインドフルネスの有効性を指摘されていますが、このマインドフルネスも坐禅や瞑想から仏教的な修行の要素を取り除いたものですね。

以前にも書きましたが、私も坐禅や瞑想の真似事を、ほんの数分間やったりやらなかったりしていたのですが、これを機に毎日続けようと思いました。

いろいろな克服方法を知ることができるのは心強いと思います

以前、岡田尊司著「過敏で傷つきやすい人たち」(幻冬舎新書)というHSP(Highly Sensitive Person)について書かれている本を読みました。

私自身、HSPかどうかを調べるチェックリストで特徴に合致したものですから、前々からこの症状に注目していたのですが、一方でこのチェックリストのような判定は、科学的な実証とはちょっと違うのかなと感じていました。

実際に岡田さんは、HSPが医学的な概念になりきれていない理由を詳しく述べられていたので、それが理由でこの本を買ったんですね。

もう一つの買った理由は、岡田さんは愛着障害などの書籍を多数出版されている方だということを知っていたので、その方が書かれているHSPの過敏性を克服する方法を知りたかったというのがあります。

本にはいろいろな克服方法が提示されていますが、最終的には自分の中に安全基地を持つこと薦められています。

この安全基地というのは、岡田さんの一連の書籍にも登場するキーワードのようです。

これはインターネット上でもいろいろ議論されているようで、自分で納得できるほど機能する安全基地を持つというのは、なかなか難しいことのようです。

ネット上の発言を見ると、年齢は20代か、高くても30代のような気がします。

どこかの集団に帰属したいという意識は強いのだと思います

私は専門家ではありませんので、昨日お話したニューロダイバーシティやHSP(Highly Sensitive Person)などが、学術的にどのような位置にあるのかは分かりません。

ですので記事や本の内容に対しては、共感することしかできません。

しかし、仮に学術的にはまだ認められていない説であっても、例えばアダルトチルドレンであるとか、HSPであるとか、自分がその特徴に当てはまるというだけでも、自分がある集団に帰属できるという安心感は大きなものがあります。

昔、卒業後に会った同級生が、学校に行くのが本当に楽しみだったという話をしたことがありました。

学校に行くのが嫌だった私はちょっと驚いたのですが、教室で楽しそうにしていた同級生たちを思い出して、やっぱりほとんどの人はそうだったんだろうなと納得しました。

そのときはたまたまその場に、私と同じように学校に行くのが苦痛だったという同年代の人がいたので、自分と同じ感情を持っていた人もいたんだと安心はしたのですが。

当時は、今のように多数派ではない人たちについての調査が進んでいませんでしたので、そのような話を聞いたときは、自分一人が浮いた存在のようで、孤立感を感じる人も多かったと思います。

ニューロダイバーシティ=脳の多様性という考え方があるようですね

先日インターネットを見ていたら、京都大学教授の正高信男さんという方が書かれた「自閉症者が人類社会に「不可欠」である理由 ~実は障害ではない!」という記事を見つけました。

そこで、ニューロダイバーシティ=脳の多様性という概念を知りました。

自閉症のような方の特徴は、技術や文化の発展に寄与するものであって、人間の多様性の一形態であるということのようです。

記事の中で、「社会的周縁に存在し、自然界のなかで自分たちがどう生きていくかに思いをめぐらす人物と、集団・社会内で互いの利益を調整し、どう上手くやっていくかに思いをめぐらす人物がいる」というような例を挙げて、いわゆる多数派(後者)とそうでない人(前者)との違いを説明されています。

この概念とともにもう一つ面白いと思ったのは、そのような特徴を持った人たちが、世の東西を問わず、封建制の崩壊以降、定住することをせず遊芸人として移動する生活を始めたというくだりです。

私は室町時代の遊芸人、または遊芸民と呼ばれる人々に興味を持っていたのですが、ニューロダイバーシティという文脈で説明できるんですね。そういう意味では西洋でも同じなわけです。

インターネットでちょっと調べてみたところ、面白い本がいろいろありそうなので、そのうち読んでみようと思います。

ハードディスクやディスクトップパソコンのような製品はもう出てこないかもしれません

昨日書いたようにWindows 10のバックアップを終えてひと安心し、次の日Windows 7を起動してしばらく仕事をしていたら、急に真っ青な画面(ブルースクリーンと呼ぶようです)になってしまいました。

久しぶりに見ました。メモリエラーっぽいメッセージが出ています。

念のためセーフモードで再起動したあと、通常起動してみたのですが、それ以降何事も起こらず普通に動作しています。

こちらも念のためチェックディスクをしたあと、ハードディスクを丸ごとバックアップしました。

今どきこのような作業をしている人は、ほとんどいないんじゃないでしょうか。

考えてみれば、もともと自社ソフトの動作チェックをするためにこのようなバックアップを始めました。

Windows 98や2000の時代は、SCSIやLANなどのインターフェースボードを刺していて、OSの再インストールのとき、ボードを認識させることなどがとんでもなく大変だったので、それを避けるためです。

今はソフト自体、バージョンアップを繰り返しているわけでもなく安定していますので、そこまで動作チェックをする必要もないように思います。

中古のハードディスクを気軽に取り替えていますが高価だった時代は忘れません

弊社はScore Magazineという楽譜作成ソフトを販売していて、対応OSは「Windows 98以降」にしていますので、動作チェックのために常時複数のOSが使えるようにしています。

とはいっても、MicrosoftのWindows Vistaのサポートは終了していますので、用意しているのはWindows 7、8、10だけです。

以前書いたと思いますが、各OS分ノートパソコンを用意しているわけではなく、1台のディスクトップパソコンに各OSの入ったハードディスクドライブ(HDD)を挿して動作させています。

業務で昔から使っているソフトはWindows 7用が多いので、メインは今でも7ですが、何ヶ月かに一度、思い出したように他のOSを起動して、Windows Updateなどをしています。

先日もWindows 10を起動しようとしたら、急に電源が落ちてしまいました。

2、3回再起動しても同じです。

こういう場合は、潔く中古かバルク品のHDDを買って、あらかじめバックアップしていたHDDを丸ごとコピーし、バックアップを複数確保するようにしています。

易経で現代を見る目が変わるのか観察してみたいと思います

もう一つ例を挙げると、六本の爻(こう)はそれぞれ陰陽の定位置があって、一番下は陽、二番目は陰、三番目は陽、・・・というように、交互に正しい位置があります。

もちろん一番下に陰が来る卦もたくさんありますが、本来陽が来るべき場所に陰が来るのは「不正」といって、基本的にあまりいいとはいえないようです。

例えば63番目に来る卦は「既済(きせい)」といって、下から陽陰陽陰陽陰と各爻がすべて正しい位置にある。

これは最高の形なので、最も幸運な卦だと思いますよね。

しかし、これは「少しいい」という解釈なんです。

つまり並びとして完成しているので、あとは衰退しかない、なのであまりいいとはいえない、という解釈のようなのです。

私はこの説明を読んでびっくりしました。

さらに最後の64番目の卦「未済(びせい)」は、既済の反対で、下から陰陽陰陽陰陽とすべて「不正」の位置にあります。

普通ならば最悪のように感じますが、逆に未来があり、前の既済よりはめでたい、という解釈のようなのです。

いいことばかりとか、逆に悪いことばかりというような極端な決め付けはやめるように、ということなのでしょう。

面白いですよね。とても感動しました。