イベントが増えた分クリスマスの盛り上がりも分散されたのかもしれません

先日ふと11月に入っていたことに気付き、もう今年もあと2ヶ月もないと、改めて月日の経つのが早いことに驚かされました。

そんなことを思っていたせいか、今日打ち合わせに向かう途中に天神地下街を歩いていたら、普通の光景であることにちょっと違和感を感じました。

来月クリスマスなのに、毎年こんなに地味だったっけ?と思ったんですね。

バブルがはじけて21世紀に入っても、相変わらずクリスマスのずっと前から、街のあちこちでイルミネーションを見かけたように記憶しています。

私の記憶違いなのか、それともやはり地味になってきているのか・・・。

確かにここ数年、10月31日のハロウィンが大盛況で、まだそれが終わったばかりということもあるのでしょう。

恵方巻きも当たり前のようにイベント化したのは、ここ20年くらいですかね。

私が子供の頃は盆と正月くらいしか大きなイベントはなかったような気がしますが、今ではたくさんのイベントが人々の生活に入り込んで、クリスマスばかりにエネルギーを割いてはいられない、ということなのかもしれません。

それにグローバル化とか高齢化社会とか、もはや生き方のお手本となるものがない時代です。

高齢者が増えるので健康を気にした人としなかった人のその後も分かります

昨日、高齢なのに薬を絶対に飲まない親戚の話をしました。

この人はひどく咳き込むことが多いのですが、スーパーで売っているようなのど飴で咳を鎮めます。それで鎮まるのがすごい。

お酒が好きで美食家で、性格的に気が焦るようなこともそうなさそうです。

ご近所さんに、昔血圧が高すぎて救急車で運ばれたという話をしてくれた方がいるのですが、その方はそんなことがあっても、あまり気にせず好きなものを食べてお酒を飲んでいたそうです。

そして今は何年も血圧が安定しているらしい。

「病は気から」というのが本当ならば、この方たちの健康への向き合い方はお手本ではないでしょうか。

そうはいっても、このようなことができる人はほとんどいないと思いますし、私ならばちょっとしたことでも気になって、病院に飛んで行くと思います。

この年になると、同年代でも体のあちこちが悪い人も出てくるので、そうならないよう節制を心がけているつもりですし、体にいいといわれるもの、納豆、緑黄色野菜、ヤクルトなども摂るようにしています。そんなの当たり前か・・・。

中には筋トレをして体を鍛えたり、ヨガや瞑想などで心の健康を増進させることに熱心な方たちもいます。

処方薬が増えて行く現場に居合わせました

今日、親戚が病院で新しい薬を何種類かもらってきたので、高齢ということもあって、一つ一つの薬の内容を説明してあげました。

この人はもともと家事のことなど、細かいところが気になってちょこまかとよく動く人だったのですが、高齢に伴う疲労や関節痛などで思うように動けなくなっていました。

ところが細かいところが気になる性格は変わらないので、気ばかり焦って、ついいろいろなことをやりたがります。

そして思うように動けずに、さらに気が焦るという悪循環が続いていました。

季節が変わり始めることから血圧が安定しないようになったので、主治医の先生は神経が高ぶっているのが原因ということで、ノンビリするようにと安定剤を処方してくれたのです。

それなのに、本人はこれを飲むと眠いしダルいしで何もできなくなる、と飲みません。

そういうことならと、先生は軽い安定剤と自律神経を整える薬と眠れないときのために睡眠薬を処方した。それが今日だったんですね。

なるほど、こうやって人は飲む薬が増えて行くのかと納得したのですが、この人は他の薬も飲んでいるのに、こんなに増えて本人はちゃんと飲めるのかなと不安になりました。

人生100年の時代になればライバルの話題も今ほど引きずられなくなると思います

昨日も書きましたが、スポーツの世界のライバル関係は、高いレベルで競い合っているのであれば、力が拮抗している時期は長くはなくて、年月が経てばどちらかがそのレベルを保てなくなるのは、当然のことではないでしょうか。

そういう意味では、マスコミや世間で脚光を浴びるほどのライバルというのは、いつまでもその関係がついて回るようであれば、ちょっとかわいそうに感じます。

最年長で活躍を続けるサッカーの三浦知良選手や、40代で表彰台に立ち続けるスキージャンプ界のレジェンド葛西紀明選手など、最初から個人で活躍する方のニュースは純粋にスゴイと感じることができるのですが。

華やかなスポーツの世界ではなく、私たちの人生においても、学校の成績ではアイツに敵わなかったけれど、会社人生では俺の方が出世した、見返してやった、みたいなライバル関係は結構あるように思います。

ちなみにこのような会社の出世競争といったら、40代にはもう決まっているのではないでしょうか。

これは60歳で定年退職して、平均寿命が70代くらいの時代にできた話のような気がします。

近年話題になっているように、人生100年が普通になったとしたら、多くの人が60代でも仕事をしていると思います。

スポーツのライバル関係は人生の中では短い期間だと思います

昨日、来日中のトランプ大統領と安倍首相のゴルフ外交に、プロゴルファーの松山英樹選手も参加してプレーしました。

トランプ大統領が松山選手の参加を熱望して実現したようです。

2、3日前、大リーグで活躍している田中将大投手がヤンキースに残留することがニュースになっていましたが、私はこの二人を見ると、以前ライバル視されていた選手のことを思い出します。

日本人はライバル対決が好きなのか、ストーリーを作ってでもライバル対決を盛り上げようとしている気がします。

みうみまコンビとして知られる、卓球の平野美宇選手と伊藤美誠選手もそうですよね。

伊藤選手の方がオリンピックに出場し、その後の全日本選手権やアジア選手権では平野選手の方が活躍しています。

このような人たちはそれぞれの競技でもトップの選手であり、注目されるのは当然ですが、注目されすぎて気の毒になります。

学生の部活のレベルではなく、遥かに高いレベルで競い合っているライバルですから、ある時期に力が拮抗していても、年月が経てばどちらかがそのレベルを保てなくなるのは、当然のことではないでしょうか。

フィギュアスケートの浅田真央選手やキム・ヨナ選手のように、長い間注目されることの方が珍しいのでしょう。

30年もあれば意外な場所も一等地になるかもしれません

先日、天神や博多駅は当然一等地・・・と書きましたが、思い起こしてみると、私が高校生までは街に遊びに行くといえば天神で、博多駅は昔からの駅ビルがあるだけなので、遊びに行く対象ではありませんでした。

それが1990年代半ばに、キャナルシティ博多が天神と博多駅の間に開業したあたりから、少しずつ人の流れがそちらに向き始めたようです。私は当時東京で生活していましたので、人づてに聞いただけですが。

2000年代に入ってからの博多駅再開発で、東急ハンズや阪急デパート、マルイなどが出店したことで、博多駅周辺も遊びに行く街のイメージが定着したようです。

そう考えてみると、30年くらいの年月でも、その魅力によって人が集まる場所に変わるんだな、とちょっと驚いてしまいます。

それではどうでしょう。ここ数十年の間に、西新あたりが一等地と呼ばれるようにならないでしょうか?

無理か・・・。

庶民的過ぎると笑われる方もいらっしゃるでしょうし、中にはもうなっていると反論される方もいるかもしれません。

少なくとも私が高校の頃までは、西南学院大学や修猷館高校がある文教地区ではあったのですが、とてもステータスを感じるような場所ではなかったように思います。

文字通り「一等」の場所がそうたくさんあるわけはありません

私の実家は福岡市西南部の端っこ、田んぼや原っぱが広がっています。

それに比べたら六本松は都心も都心、次元が違います。

ここ数年、「福岡市の一等地、九大六本松跡地に云々」という新聞記事も、何の違和感もなく目を通していました。

ただ最近の複合施設関連の報道は、九州大学が移転した → 人通りが減った → 閉店するお店が増えた → 再開発が始まった → 街に活気が戻った、というような文脈なんですね。

「一等地」という言葉は不動産屋さんのチラシ以外ではあまり見かけませんので、今まで気にしたことがなかったのですが、今回改めて「一等地とは、ほっといても人が集まってくる場所」みたいに思い込んでいたことに気付きました。

ちなみに、インターネットで「福岡市 一等地」と検索してみると「大濠公園」などが出てきます。

なるほど。福岡市市民憩いの場といえばここ、というくらい有名ですし、大濠公園は移転はしないでしょう。

高級住宅地になると「浄水通」あたりは昔からそうですね。

ここはもう福岡のステータスシンボルのような場所なのかもしれません。

そう考えてみると、文字通り「一等」の場所がそういくつもあるわけはないですよね。

一等地とはどういう場所をいうのでしょうか

インターネットで情報サイトを見ていたら、福岡市六本松の九州大学キャンパス跡地にオープンした六本松421が、活況を呈しているという記事を見つけました。

商業施設には蔦屋書店などが入っていて、福岡市科学館は連日長蛇の列のようです。

六本松は以前九州大学教養部があり、大濠公園の南側に位置するので賑やかな街という印象はあるのですが、福岡市中心街の天神に行く途中の駅なので、特に降りることはありませんでした。

その九大が2009年に移転してからは、六本松の話題といえば、人も飲食店も減っているというネガティブなものばかりでした。

九大跡地にはあれができる、これができるという噂をよく耳にしましたし、新聞でも「福岡市の一等地、九大六本松跡地に云々」という記事をよく目にしました。

それが今や、情報サイトに福岡で一番熱い街という見出しの記事です。

今後も福岡裁判所、検察庁、県弁護士会館が移転してくるようです。

記事を読んでいて、お店をされている方は喜んでいるだろうなと思ったのですが、ふと「一等地って、再開発しなくても人が自然と集まる場所をいうのでは?」という疑問が浮かびました。

親しみやすさを保ったまま進化して行くことも考えなければなりません

パソコンであれば、メモリが不足していたりCPUパワーが足りなくてモッサリした動きになっても、新しいOSは自己責任のもとインストールできる場合が多いです。

以前ブログで、ご近所の方がWindows 7パソコンをWindows 10にアップグレードしたら、Excelの重いファイルを作業中に、たまに停止してしまうようになったことを書きましたが、これもそのパターンですよね。

そういう意味では、昨日お話したiOSやAndroidのタブレットは、OSが新しくなると古いハードには対応しなくなるので、このご近所さんのような問題は起きないのでしょう。

一方で、Nexus 7のようにサクサク快適に動作していても、あと何年かするとOSが3世代も4世代も旧くなって、日頃使っているアプリも新しいバージョンは対応しなくなるかもしれません。

タブレットはこのような割り切った設計だから、パソコンに慣れていない方でも使いやすいということでしょうし、値段も安いですから、これはこれでいいのだと思います。

タブレットは親しみやすいかわりに製品寿命が短いかもしれません

今日あるビジネスサイトを見ていたら、iPadがiOS11でパソコンのように進化した、という記事を見つけました。

追加されたいくつかの機能が、純粋なタブレットだったiPadを、パソコンのような使い勝手に変えるということのようです。

例えば画面を二つに分割する機能を使えば、パソコンのようなマルチウィンドウではなく、メイン画面上に小さな画面が表示され、そこに別のアプリを表示できるようです。

これはいいなと思ったのが、ファイルやフォルダを管理できるようになったこと。

アプリごとにファイルを管理するiOSの制限はそのままですが、一つのフォルダに必要なファイルをまとめて置けるのは便利です。

使ってみたいと思って対応機種を調べてみたら、私の第4世代のiPadは未対応でした。ああ・・・。

同じようなことは過去に何度か経験していて、iPod Touchを持っているのですが、これは第5世代なのでiOS10はインストールできませんでした。

同じくNexus 7(2013)を持っているのですが、こちらはAndroid7からインストールできません。