近所の中学校を見て十分な学生生活を送れているか心配になりました

今日夕食の買い出しに行っていたら、中学生と思しき少年三人組がランニングしているのを見かけました。

私服でマスクはしていません。運動部の自主練かな。

スーパーに行く途中に中学校があるのですが、最近は夕方にもかかわらずいつもひっそりとしています。

以前は運動部の学生たちが学校の周りをランニングしていたり、校舎からブラスバンドの演奏が聴こえたりしていました。

先ほどの少年たちは何部でしょうか。

夏の甲子園大会も中止になるようですから、スポーツの大会は軒並み中止でしょう。

吹奏楽の大会はどうなのでしょうか。

ユーフォニアムなんてとても大きいので、自宅に持って帰って練習するなんてことは無理でしょう。

部活だけでなく、今年や来年はプライベートの活動も制限されますよね。

今思い出したのですが、小学生と違って中学生ともなると、私の場合は自分の意思で活動し始めたように記憶しています。

洋楽を聴き始めて、近所の同級生とバンドを組みました。

クイーンやキッスのコンサートに行ったのも中学の頃です。

活動資金が欲しかったので、できる範囲でバイトも経験しました。

芸術作品の創作と瞑想との相性について興味深い指摘がありました

プラユキ・ナラテボーさんと魚川祐司さんの対談「悟らなくたって、いいじゃないか」(幻冬舎新書)を読んでいたら、最後の方に興味深い指摘がありました。

横尾龍彦さんという画家の方が、五十代に入って精神的な悩みを抱えていたので、禅の山田耕雲老師に参禅修行を願い出たところ、山田老師から「絵が描けなくなるよ」といわれたとのこと。

「それでもいいです」ということで禅をやられたら、実際に描けなくなった、と。

以下、そのことに関する魚川さんの見解の抜粋です。

「「心に生じてくる想念を、価値判断を差し挟まずに観察して、それにはまり込まない」ということは、浮かんでくる創作上のイメージに関しても、それを追いかけて没入するという行為をいったん停止するということです。そういうマインドフルな心のあり方が常態化すれば、創作に際して対象のイメージに人格の全てを集中して、それを展開させるという、ある種の芸術制作には必須の精神的なモードは、起動させにくくなるでしょう。」

横尾さんは「見性(禅における、一種の「悟り」体験)を認められるところまで修行を進めた」そうなので、禅や瞑想をすると誰もが絵を描けなくなるわけではないのだと思います。

カズレーザーさんを見て、子供の頃近所に住んでいた博士ちゃんを思い出しました

今日夕食時にテレビをつけたら、日本テレビ系列で「沸騰ワード10」という番組に、お笑いタレントのカズレーザーさんが出演されていました。

何でも彼は自衛隊愛で有名らしい。

番組では自衛隊の兵器を見るたびに「カッコい〜!」と連呼し、それぞれがどのような機能を持っているか詳しく解説されて行きます。

しかしカズレーザーさんのように、大好きなものに没頭している人の姿を見るのはとてもおもしろいですね。

今回のカズレーザーさんを見ていて、小学校低学年の頃、戦争ごっこをして遊んだことを思い出しました。

近所に異様にドイツ軍やソ連軍の戦車や戦闘機が好きな子がいて、その子のプラモデルを友達数人が手にして、その子の解説のもと戦争の真似事をします。

今でも戦車や戦闘機の名前をうっすらと覚えているのは、当然ながらその子の影響です。

今考えてみると7、8歳の子供が、戦車や戦闘機の名前やその装備などを知っているというのがすごいですよね。

その子以外の子供たちは、その年齢で没頭できるものなどありません。彼からいわれるがまま戦車や戦闘機を動かしていました。

私が音楽に興味を持って、お小遣いを貯めてEPやLPレコードを買い始めるのが小学校の高学年です。

プラユキさんは相談者の夢を聴いて心理療法的なこともやられているようです

先日、プラユキ・ナラテボーさんと魚川祐司さんの対談「悟らなくたって、いいじゃないか」(幻冬舎新書)を注文したことを書きました。

今日届いたのでサッと目を通してみたら、これがものすごく面白い。

面白いところがたくさんあるので、一通り読んだら整理して、そのうちブログに書いてみようと思います。

ちなみにこの本の中から一つだけ。プラユキさんのお寺では、瞑想指導だけでなくカウンセリング的なこともやってらっしゃるのだとか。

何でも相談者の夢を聴いてカウンセリングに応用するという、心理療法的なこともやられているらしい。

以下、抜粋です。

「最近は臨床心理士の資格を持っている僧侶の方も増えてきたようですし、それこそ「マインドフルネス」の流行との関係で、心理療法と仏教のコラボレーションは、むしろ普通のことになってきているんじゃないかな。私も最近カウンセラーやフォーカシングの先生とのコラボ講座とかやってるよ。」

へぇー、そうなんですか。

プラユキさんの他の書籍を調べてみると、「自由に生きる」(サンガ)という本の紹介文に、「認知行動療法の心療内科医・熊野宏昭氏との対談を収録」なんて書いてあります。

ずっと先だと考えていたライフワークを今から取り入れて行くことにしました

新型コロナウイルスによる緊急事態宣言を受けて、ASK アクティブシニア交流会さんが活動を休止されています。

月二回開催される交流会の運営などのために、いつも忙しく準備されていた役員の方々は、今どうされているのかなと思ったりします。

私の親はASK会員の平均年齢七十代より十歳くらい上なのですが、十年くらい前まではASK役員の方々のように、毎日のように出かけていました。

さすがに八十代も後半になるとほとんど毎日家にいて、暇そうにしていることも多いのですが、本人からすれば暇で困っているというわけでもないようです。

一方でASK役員の方々が同じように家にいることになると、やっぱり暇で困るだろうなと推測しますが、緊急事態宣言によってそうもいっていられない状況にあるんじゃないかと思います。

そう考えると、ASKさんの活動はシニアの方にとっては理想的なことのように感じます。

私は以前よりそのことを感じていて、だから今のうちから自分のライフワークを決めておいて、七十代になっても自分の仕事をしたいなと思っていたわけです。

ただ想定外だったのは、世の中がこのような状況になってしまったこと。

好きで関わり続けたことは批判されたとしても揺らぎません

今日インターネットを見ていたら、私が今準備しているライフワークの内容の一部に関して、ある著名な文化人の方が「評価できない」とおっしゃっている記事を見つけました

その方はベストセラーの著書があり、私もリスペクトしている方ですので、もし以前の私であれば気になってしまって、「この方がそういうならやめよう」とライフークに含めることをやめていたかもしれません。

確かにその方の「評価できない」理由を読めばおっしゃるとおりです。

しかし今は、それをライフワークに含めることをやめるつもりはありません。

というのも、私はそれについて長年関心を持ってきましたし、その文化人の方の評価は、それを一つの側面から見た結果に過ぎないと思っているからです。

考えてみれば簡単なことで、それ(ライフワークの内容の一部)についての情報は、その文化人の方が持っている情報量よりも、私が持っている情報量の方が何倍も多いので、いろいろな側面から判断できるんですね。

今回分かったことは、好きで時間をかけたことは、いくら批判されたとしても自信を持ってその批判に反論することができるということ。

もし反論できないとしても、それを好きでいることは揺らがないということ。

マインドフルネスや瞑想をやることは自然なことになるのかもしれません

今日、新型コロナウイルスの新規感染者は東京で15人、福岡でゼロとのこと。

かなり減ってきたのでひと安心ですが、ゴールデンウィーク明けの繁華街で人出が増えているようなので1、2週間後の統計が心配です。

東京都の小池知事がおっしゃるように、海外を見ても第二波がいつ起こるか分かりません。

自分も気の緩みに注意したいと思います。

こんな時期なので、昨日は瞑想のことについて書いたのですが、今日ネットを見ていたらNHKのETV特集「緊急対談 パンデミックが変える世界 〜海外の知性が語る展望〜」についての記事を見つけました。

アメリカの国際政治学者、イアン・ブレマーさんや、世界的なベストセラー「サピエンス全史」などの著者、ユヴァル・ノア・ハラリさんのインタビュー番組とのこと。

番組の中で、ブレマーさんは犬を飼うことや毎朝瞑想をすることなどを提言されていたようですし、ハラリさんも瞑想をすることなどを提言されていたようです。

ちなみにハラリさんの瞑想はヴィパッサナー瞑想。毎日2時間も実践されているそうです。本格的ですね。

お二方ともマインドフルネスではなく瞑想というのが印象的でした。

コロナの影響で、世の中の仕組み自体が変わらざるを得ない状況になっています。

「瞑想難民」なる言葉を知ったので瞑想を勧めることにも慎重になろうと思います

このブログで何回か書いていますが、私は瞑想をすると心が落ち着きます。

瞑想といってもそんなにストイックなものではなく、ティク・ナット・ハンさんの「ブッダの〈気づき〉の瞑想」と「ブッダの〈呼吸〉の瞑想」(共に野草社)という本を参考に、「息を吸いながら○○、息を吐きながら○○」などと唱えながら呼吸をするだけです。

コロナの緊急事態宣言によって外出自粛が長引いているせいで、心が疲弊している人が増えているようなので、瞑想はいいものですというようなことを書いた記憶があります。

そんな中、今日「瞑想難民」なる言葉を知りました。

プラユキ・ナラテボーさんと魚川祐司さんの対談「悟らなくたって、いいじゃないか」(幻冬舎新書)に出てくるようで、何でも昨今の瞑想ブームのせいか、本格的な瞑想をやったが思い通りの効果が得られずに失望したり、精神状態を悪化させたりする人のことをいうらしい。

あれま、そうなんですか。無責任に瞑想を勧めてはいけないかもですね。

ちょっと心配になったので、その「悟らなくたって、いいじゃないか」という本を注文しました。

自分の場合瞑想を始めたのは、ずいぶん昔に坐禅の入門書を買ってやってみたのが最初です。

最近ブログのネタが思い付かないのは世の中の多様性の問題かもしれません

Yahoo! JAPANのようなポータルサイトを見ていると、当たり前なのでしょうが、ほとんどが新型コロナウイルス関連の情報ばかりです。

一見関係ないグルメや家電紹介のような記事でも、コロナのために外出自粛をしている人が多いからこそ書かれた記事みたいな。

なぜこのようなことを書いているかというと、ブログのネタが探しにくく感じたからなんですね。

以前は「今日は何を書こう」と思ったら、しばらく考えてネタを思い付いていたのですが、最近はどうも思い付かない。

思い付かないというより、ほとんどがコロナ関連になっちゃうんですね。多様性がなくなったような感じ。

困っていらっしゃる方が大勢いる状況でもありますので、ブログの内容が配慮を欠いたものになってはいけませんし・・・。

単に自分に才能が足りないということでもあるのですが。

というわけで、ここしばらくは最近読んだ本のことでも書いて行こうかなと考えています。

すきま読書をしている程度なので、何日も続けて同じ本について書くかもしれません。

あ、それに毎日易を立てていますので、それについて書くかもしれません。

大念処経の解説を読みながらこのブログで考えてきたことを整理しています

片山一良著「パーリ仏典にブッダの禅定を学ぶ―『大念処経』を読む」(大法輪閣)を読んでいます。

大学教授で曹洞宗のお坊さんでもある片山さんの大念処経(マハーサティパッターナ・スッタ)の解説です。

大念処経は、このブログでもご紹介したティク・ナット・ハン著「ブッダの〈気づき〉の瞑想」(野草社)やマハーシ・サヤドー著「ヴィパッサナー瞑想」(サンガ文庫)の元になったお経です。

上座仏教のお経ですが、片山さんが曹洞宗のお坊さんなので、大乗仏教や禅の膨大な知識と共に解説されています。

こりゃ何回も読まないと、私の頭には入ってきません。

以前ブログで、易経や陰陽五行占術は生き方や人の資質などを、実に的確に教えてくれるというようなことを書きました。

ただ、例えば「あなたは○○なので心に葛藤があります」といわれたときに、じゃあその葛藤をどうすればいいの?と途方に暮れるときがあったのですが、そのようなときには、この大念処経や安般念経(アーナパーナサティ・スッタ)が解決の糸口になるんじゃないかと思います。

このことは、ティク・ナット・ハンさんの本を読んだときに感じました。