出張修理の方がiPadでカード決済などすべての手続をされたので驚きました

家の冷蔵庫が故障したので、今日出張修理に来てもらいました。

技術者の方によると、製氷機で水道水以外のものを凍らせたのが原因だとか。家族が水以外の氷を作っていたので、それが怪しいとは思っていたのです。

修理も終わって費用を支払うとき、その方がiPadを取り出しました。

今はこれでサインからカード決済、領収書発行まで全部その場でできるとのこと。

サインはiPadの画面に指で書きますし、カードはiPadに接続したアダプターで読み取ります。

ハンディプリンタで修理明細書と領収書を印刷して終わり。・・・すごい。

何でも、現場では現金のやり取りをしないことになっているのだとか。

その方によると、高齢者の方は「○千円なんて今払うよ」とおっしゃるらしい。

そうですよね。昔はその場で修理代を払うのが普通でしたし、ましてや液晶画面を差し出されて「ここに指でサインしてください」といわれたら戸惑うと思います。

私はアプリの仕事をしていますので、このような仕組みは理解できますが、80代や90代になって全く仕組みが理解できない機械を取り出されたら、どういう気持ちになるのでしょう。

学生の頃天神以外によく出かけていたのはお金もやることもなかったからなんですね

今日は仕事も兼ねたあるイベントに参加するために、天神に行ってきました。

さっき気が付いたのですが、このブログで打ち合わせのことを書くとき、行き先のほとんどが天神です。

福岡は会社の事務所の多くが天神や博多駅周辺に集中しているので、必然的にそうなっちゃうのでしょう。

先日のゴールデンウィーク中に友達と天神で飲んだことを書きましたが、実はそのとき「超カレーグランプリ」なるイベントが舞鶴公園西広場というところで開催されているということだったので、ついでに行ってみました。

天神から行くと大濠公園の手前にある公園なのですが、その公園に行く途中の大きな広場を歩いていたとき、友達が「ここ平和台球場跡じゃない?」といいます。

ああ、そういわれれば確かに・・・。子供の頃の記憶が蘇ります。今回と同じように、お城の城壁を見ながらゆるい坂を登って行ったところにあったと思います。

親に連れられて、平和台球場にプロ野球を見に行っていたのは小学生の頃です。

行けば必ず球場で売られていたうどんを食べて、食べ終わったあとの発泡スチロールのお椀をグローブに見立てて、ホームランを待ち構えていました。

当時は今のように応援合戦もなく、ボールがバットに当たった音や選手の声などがよく聞こえていました。

違う環境にいる人の生活パターンは実感できないものですね

この10連休中毎日のように、買い物と夕食の買い出しに近所のディスカウントストアとスーパーに行っていました。

どちらのお店も店員さんの顔ぶれは平日と同じ。10連休といっても何も変わりません。

そういえばヤクルトさんも連休中いつものように配達されていました。

私も連休中は仕事をしていましたし、いつもお仕事をしている方とも普通に仕事のやり取りをしていました。

少なくとも私の周りは、10連休とはあまり縁のない人たちばかりだったように思います。

ずいぶん昔に会社に所属していたときは週休二日でしたし、休日もカレンダー通り。

もしその会社にいたとすれば、私も10連休だったと思います。

書いていて思い出したのですが、私の親もカレンダー通り休める仕事をしていたので、子供の頃は連休ともなるとクルマで遠出することもありました。

そんな生活をしていると、子供ながらに大人は子供と同じようにカレンダー通り休みがあるんだな、と信じ込んでしまうんですね。

なのでカレンダーが休みでなければ、病気でもない限り会社や学校は休めないものだと思っているわけです。

毎日易の結果に期待しながら生活しています

今まで何度か書きましたが、易経を理解するために毎日「今日はどのような日になるでしょう?」と占いをして、出た卦と爻の解説を読んでいます。

今日出たのは「坎為水(かんいすい)」。

「沢水困(たくすいこん)」、「水雷屯(すいらいちゅん)」、「水山蹇(すいざんけん)」とともに、四大難卦といわれています。

銭天牛著「すぐに役立つ銭流「易経」」(棋苑図書)には「非常事態ーというよりドンヅマリ。」とあります。

「ありゃまー」とは思いますが、毎日やっていれば四大難卦もたまに出ます。決していい気はしませんが。

でも毎日占うようになって気付いたのは、いい卦は安心するのか、その日何が出たのが忘れがちになること。

一方で悪い卦の方が、たまに思い出して「このことをいっているのかな?」と検証できたりします。

そういう意味では言い方は変かもしれませんが、悪い卦の方が易経の勉強になります。

それに易経は、一つの結果にもいくつかの解釈を用意してくれています。

例えば本田済著「易」(朝日選書)には次のような解説があります。

パソコン勉強会の定義を考えなおさなきゃならない時期に来ているように思います

昨日は一日パソコン勉強会の内容を考えていたことを書きましたが、今日は別の作業をしながらも、やっぱり引き続き考えていました。

八ヶ月ほど前にGoogle勉強会をやったのですが、そのときからも世の中は変化しています。

受講する方々にもよるのですが、一昔前は初心者のためのパソコン勉強会といえばWordやExcelの比重が高かったように思います。

今はスマホで業務をやられている方も多いですし、iPadをメインに使われている方もいます。

パソコンに限っていえば、例えばGoogleドライブを使う場合、Webブラウザで利用する方法の他に「バックアップと同期」というインストールするタイプのソフトがあります。

今まで受講生の方はDropboxをインストールされている方が多かったので、「バックアップと同期」の方が分かりやすいかなと思って、前回のGoogle勉強会でご紹介しました。

Windowsにインストールするタイプのソフトで作ったファイル、例えばWordやExcelのファイルをダブルクリックするだけでそのソフトが起動しますので。

ただ、昨日もお話したように「・・・の基本操作」や「・・・の基礎」なんてやり始めたら、範囲は膨大で、これ以外にもお話した方がよさそうなことはたくさんあります。

パソコン勉強会は受講生の方に合わせながら内容を決めて行こうと思います

ASK アクティブシニア交流会さんで開催するパソコン勉強会は、計五回の予定のうち、今月末の二回分のみ日にちが決まっていたのですが、会場の都合で次の二回分が来月早々になりそう。

そうのんびりと構えていられなくなりました。

大まかなカリキュラムとして、一日目はWindowsの基本操作や文字入力の基礎、二日目はWebブラウザの基本操作やGoogle検索の仕方、三日目はGoogleドライブおよびドキュメントとスプレッドシートの基礎、四日目はパソコンとスマホとの連携、五日目はGoogleフォトや画像編集の基礎、というところまでは決まっています。

しかし具体的に何をどういう順番でやるかはまだ考えていません。他にもやらなければならない作業があります。やばい。

というわけで、今日一日具体的に何をやるかを考えていました。

パソコン勉強会という名前なのにGoogleの比重が大きいのは、ASKの役員の方たちがGoogleドライブのアプリを使っているので、会員の方たちもGoogleに慣れて欲しいという役員の方たちの希望でもあります。

それにASKさんは、「シニアこそアクティブに活動するためにスマホを活用しよう」と何度も勉強会を開かれてきたほどスマホの活用に積極的です。

物心付いた頃の身の回りの世界を再現するには物語を作るしかありません

今日久しぶりに同世代の知人と天神で飲みました。

博多どんたくの真っ最中で、天神はとんでもない人出です。

お互いの近況などを語り合っていると、最後には年を取ったという話に落ち着きます。

元号が変わったこともあって、いつもより昔の話が多かったです。

特に印象に残ったのは、物心付いたときに白黒テレビはあったか?ということ。

私のうちにはなかったように思うのですが、彼はあったといいます。帰ってきて親に確認したらあったらしい。

インターネットで調べてみると、さすがに1960年代には普及していたようなので、うちにもあったのでしょう。

物心付く年齢って三歳くらいですかね。

その頃は記憶があるといっても断片的なもので、はっきりしたものではありません。

なので記憶が曖昧になるのはしょうがないと思うのですが、今の若いお父さん、お母さんはしょっちゅう我が子をカメラや動画に収めていますよね。

そういう意味では、今の若い人は、物心付く前の自分の行動や周りの環境を写真や動画によって知ることができるわけです。

易経と唯識の共時性の方向性の違いが少し分かりました

久しぶりに服部正明/上山春平共著「仏教の思想 4 認識と超越<唯識>」(角川文庫ソフィア文庫)を手に取って、湯浅泰雄さんの書かれた解説を読んでいたとき、次のような箇所に目が留まりました。

「アーラヤ識は個体の生死をこえて存続する超個体的な深層心理領域であるから、心理学にひきつけてみれば、ユングのいう集合的無意識や近年のトランスパーソナル(超個的)心理学のような考え方に通じるところがある。 (中略) ただし、アーラヤ識の考え方は、もっと複雑で広い内容をもっている。それは、個体の生死をこえて活動をつづけていると共に、人間ばかりでなく、すべての生命を輪廻転生させている宇宙的な生命活動の根底とも言うべきものである。表層的人間存在の中心にある「心王」は、個体の生から死に至る時間的持続に依存しているのに対して、アーラヤ識に支えられた生は、永遠にくり返す悠久な時間と活ける大自然のリズムの中にある生としてとらえられている。」

そうなんです。易経を唯識と似た興味を持って読んでいるように感じていたのですが、それが何なのか今ひとつはっきりしなかったんですね。

ユングが易経から集合的無意識のヒントを得たということと、その集合的無意識とアーラヤ識との関連性が指摘されていることは知っていたので、このあたりがポイントかなと思っていたのですが。

令和の時代は戦争も大きな災害もない平和な世の中であって欲しいです

昨日、作業も終わって寝る準備を始めながらテレビを点けたら、ほとんどのチャンネルが令和へのカウントダウンを始めていました。

何だか年末みたいだなと思って見ていたら、日付が変わる頃に渋谷のスクランブル交差点の映像が。

ものすごい人出で警察官の方がクルマの上の高い所から平静を呼びかけています。

どうなるんだろうと思っていたら、日付が変わっても特に変化なし。お祭り騒ぎというわけではなかったようです。

考えてみれば、年末にしろハロウィンにしろ、毎年行われるイベントは経験の蓄積がありますので、その経験をもとに時間をかけて準備できますが、こんなに平和に元号が変わるのは現代の人にとっては初めてのことですので、準備のしようがありません。

それでも歴史的瞬間に立ち会えてよかったなと思います。

新しい天皇陛下は私より少しお年が上ですが、いよいよ近い世代の方が即位されたんだなぁとちょっと感慨深くなりました。

新しい元号に変わるときは、毎回みんな平和な世の中であって欲しいと願うんじゃないでしょうか。平成が始まるときもそうでした。

幸い戦争は起きませんでしたが、大きな災害に見舞われました。私も平成が始まって十年くらいは、人生の中で最も激動の時代だったと思います。

新しい仕事を始めるときは一風変わったバックボーンを持っているといいと思います

あるテーマの本について複数の著者がいる場合、その人の職業や所属している団体などの違いによってテーマの切り口が違ってきます。

私も一つのテーマについて著者が違う本を数冊持っているのですが、ある方は大学院の博士課程から大学教授とずっとアカデミック畑ひとすじ、ある方はキリスト教関連の仕事と心理学者を兼任され、ある方は大学教授であり武術の師範でもあり、ある方はお坊さんだったりします。

みなさん著書のテーマが専門なのですが、説明をする際の例え話や日常のエピソードなどはその方の肩書ならではのものです。

やっぱりあることの専門家であっても、バックボーンが違うとそれぞれの書籍が違うテーマのようにさえ感じられます。

こういうのは結構重要なことだと思っています。

昨今人生100年といわれるようになって、私もできる限り働きたいと思っていて、高齢になっても一人でできる仕事を模索しています。

しかし職業として確立されたものであれば、どんなものでもそれなりに競争率は高いですよね。○○の専門家と名乗っても需要があるものであれば特に。

そんなとき、同じ専門家であってもバックボーンが他の方たちより異色であれば、そのバックボーンに興味を持つお客さんが付くんじゃないかと思うのです。

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