歴史と心の関係

自然界だけでなく人間界も変わり目の時期なのでしょうか

今日は久しぶりにクーラーを入れずに過ごしました。このまま猛暑が収まってくれればいいのですが。

しかしまた台風が近づいています。

今年は例年より自然の厳しさを感じることが多いです。

それと同時に、今年はちょっとパワハラのニュースも多いようです。

もちろん、安易に自然界のできごとと人間界のできごとを結びつけることはできませんが、今年はそのようなニュースが多かった年と記憶されることになるんじゃないでしょうか。

四柱推命や算命学のような、東洋の五行を使った占術をされている方はご存知かと思いますが、今年は戊戌(つちのえいぬ)。「戊」と「戌」の両方が土性で、五行の「土」の性質が強い年らしいです。

インターネットで調べてみても、どのような特徴の年なのか今ひとつよく分かりませんでしたが、少なくとも「土用」というだけあって、季節の変わり目の時期という説明はしっくりきました。

「土用」は歴の上では四季の変わり目の期間。

「土用の丑の日」は夏から秋に変わる頃にあたります。

よく占い師さんが、生年月日の干支でその人の性格を風景画に見立てて読むことをされているんですが、今年の7月5日生まれの方なんて戊戌年の戊午(つちのえうま)月の戊戌日。

宗教と科学が対立したものではないことが理解できそうです

昨日は、自然科学の分野に大きな功績を残したニュートンやライプニッツが錬金術にも興味を持っていたことから、「多分この時代の人は、神と科学が共存していたんだと思います」なんてことを、したり顔で書きました。

しかし、今日そのようなことについて書かれた本がないか探してみたら、たくさんありました。昔からよく知られたことなのでしょう。恥ずかしい・・・。

忙しいのに、お手軽なところで文庫と新書を一冊ずつ買ってしまいました。ちょっと読みかじってそのあと積読になりそうです。

文庫の方は、私の大好きな数学者でエッセイスト、森毅さんの「魔術から数学へ」(講談社学術文庫)。

新書の方は、芥川賞作家で宗教にも造詣が深い三田誠広さんの「ダ・ヴィンチの謎 ニュートンの奇跡」(祥伝社新書)。

そのうちこのブログで書くことがあるかもしれません。

読者のレビューを拝見しましたが、宗教と科学との密接な関係に驚かれている方もいらっしゃいます。

そもそも17世紀に興味を持ったのは、なぜあれほど論理的な思考を持つライプニッツが、多くの場面で当然のごとく神の影響を説いているのか、その時代背景を知りたかったんですね。

17世紀は神と科学が共存していた時代だと思います

ライプニッツを読むようになって17世紀にとても興味を持ち始めています。

この時代は、16世紀の終わりのガリレオから、17世紀に入ってデカルト、ニュートンなどが出て、機械論的自然観という近代の自然科学に繋がる思想を展開しました。

ライプニッツにも多くの実績があり、ニュートンと同時期に微分積分を確立したり、パスカルの発明した機械式計算機をさらに発展させた計算機を作成したりしています。

私がライプニッツに興味を持つきっかけとなった、コンピューターの基礎である二進法を確立したのも彼です。

その一方で、現実の世界は神が造ることのできた世界の中で最善のものであるという「最善説」を始め、さまざまな場面で神が語られます。

さらに、錬金術協会に参加するほど錬金術に興味を持っていたことなど、非常に論理的な思考と今でいうスピリチュアルな分野への関心が共存していることに、とても面白いなと思っていました。

しかしそれをいえば、ニュートンになるとオカルトを研究していたようで、特に錬金術の研究は有名のようです。

多分この時代の人は、神と科学が共存していたんだと思います。

考古学が解明していない時代は人々の想像がそれを埋めるようです

二回にわたって、松木武彦著「縄文とケルト」(ちくま新書)に関連したお話をしてきました。

近所にある吉武高木遺跡が、世界史的な関連性の中で語られていたのは、読んでみてとてもよかったと思います。

それに、ケルトについての近年の考古学界の見解。

一口にケルトといっても、人工物、墓、住居など時代や地域によって相当の違いがあり、一個の民族集団の痕跡などとは考えられない。

それがローマの支配から、その後のアングロ・サクソン人やノルマン人などの支配に移って行く。

そのような歴史的背景が、後世に国としてまとまるときの精神的手段として歴史的なアイデンティティが必要とされたとき、基層に広がるケルトのそれに求められた、というようなことでした。

そのことが、漢以降の隣国の支配を受けなかった日本との比較で、より明確に理解できました。

歴史の授業では、日本史と世界史という全く別の時間帯で、関連性なく習ってきました。

当時、この本のような視点から両者の歴史を辿っていたら、かなり興味深い授業になっていたように思います。

とはいうものの、私が中学、高校生だった1970年代は、日本でケルトという言葉はほとんど知られていなかったのではないでしょうか。

原ケルトを通して吉武高木の当時の社会が垣間見えたような気がしました

「縄文とケルト」は副題に「辺境の比較考古学」とあるように、アナロジーというキーワードを元に、イギリスに分布するストーンサークルなどの建造物を、日本列島のものと比較して行きます。

アナロジーについて筆者は、別個の事象の間に類似のパターンやイメージを見つけ出し両者を関連づける働き、というような説明をされています。

これは、ユングのいう世界の神話に見られる類似性、つまり「元型」や「集合的無意識」ですよね。

私はこの手の話には弱い。つい買ってしまいます。

この本で知りたかったのは、今の考古学でケルトはどう捉えられているのか、それに筆者の吉武高木遺跡についての見解です。

前者でいえば、青銅器時代の墓から発掘された副葬品から、ヨーロッパ大陸にルーツを持ち、金属加工を生業とする「鋳物師(いもじ)」のような集団がいたらしい。

彼らは、ケルトの活動期に比べるとずっと古いが、副葬品の分布域とケルトの文化域が重なっているため、「原ケルト」と呼んでもいいのでは、というようなことを仰っています。

後者については、副葬品に朝鮮半島をルーツとする外来的な性格が感じられる、などいくつかの理由から、ブリテン島青銅器時代の「鋳物師」の墓と重なって見えた、とあります。

「縄文とケルト」という本に吉武高木遺跡のことが載っていました

先月、書店に松木武彦著「縄文とケルト」(ちくま新書)という本が並んでいました。

これは面白そうだと手に取って、パラパラとページをめくっていたら、吉武高木遺跡についての記述を発見。

家の近所にある遺跡が、「縄文とケルト」という厳かな題名の本に載っている。

これは読まない理由はありません。即買ってしまいました。

吉武高木遺跡については以前も書きましたが、国内最古の王墓であるとか、三種の神器が出土したとか、考古学上では有名な遺跡らしいのですが、それ以上の考察はインターネットで調べてもよく分かりませんでした。

そもそも地元の人の間で、少なくとも私の周りでは、吉武高木遺跡の話題は出たことがありません。

今年の4月に、この場所は「やよいの風公園」として整備されたのですが、そのことも話題に上りません。

そんなことを思いながら「やよいの風公園」と検索してみたら、立派なホームページがありました。いつの間に・・・。
http://bunkazai.city.fukuoka.lg.jp/yoshitaketakagi/

自分が歴史好きだと気付いていない方もいらっしゃるのではないでしょうか

マニエリスムのことを書いてから、かなり長い記事になりました。

先日、何十年かぶりに小学校の卒業文集を見たことをお話しましたが、私はそこに島原の乱について書いていました。

クラスメイトは、家族や野球などの日常のことや読書感想文を書いていましたので、自分でなぜこんなテーマにしたのか不思議でした。

島原の乱は修学旅行に行く際に学んだ知識だと思うのですが、キリシタン弾圧のために実施された踏み絵について、子供ながらに酷いことをするなという印象を持っていました。

今考えてみると、人々の感情が大きな事件を引き起こし、それが歴史になるということに、先日から書いている、文化芸術が生まれるパワーと同じ驚きを感じていたのかもしれません。

よほど印象が強かったのか、中学か高校か忘れましたが、遠藤周作さんの「沈黙」も読みました。この時期に夢中で読んだ数少ない小説です。

当時の私は意識していませんでしたが、この乱が幕府の鎖国政策を推し進め、国内の安定をもたらし、元禄文化が花開いたわけですから、歴史と文化芸術の関係の深さを感じます。

中学生の頃は、自分では歴史に興味がありそうな気がしていたのですが、年号や人物の名前が覚えられないので、やはり興味はなかったのだと納得して、この歳まで過ごしてきました。

いつの間にか歴史に興味を持つようになっていました

学生の頃は歴史の成績が悪かったので、自分は歴史嫌いだと思っていたのですが、ここ数年、中世の歴史を中心に興味があり何冊か本を読んでいます。

というのも、綱野善彦さんの「日本の歴史をよみなおす」(ちくま学芸文庫)を読んだとき、戦後くらいまでの私たちの常識として考えられた世界は、だいたい室町時代ぐらいまでさかのぼれるが、13世紀以前は異質な世界である、というような記述にとても興味を持ったからです。

日頃から私たちは、喜んだり、腹を立てたり、悲しんだり、いろいろな感情を持って生活していますが、このような感情は、思想や宗教が違う国で育っていればまた変わってくるんだろうな、と想像はできます。

しかし同じ日本で、ある時代より前の人たちが、私たちの持つ感情とはまた違う種類の感情を持っていたかもしれないと思うと、とても不思議な感じがします。

私が幼稚園の頃、田舎じゃなくても、夜になると至る所に暗闇が残っていました。

当時私は、日本中にできていた新興のアパート団地に住んでいました。

コンビニなんてありませんから、夜になるとあちこちに暗闇があります。

風か何かで「ヒュー」っと音がしようものなら、怖くなって親に「何の音?」なんて聞くわけです。

今の世の中からどのような文化芸術が生まれてくるのでしょうか

近年のAIなどの技術革新を第四次産業革命と呼ぶこともあるようですね。

昨年、AIのアルファ碁がプロの棋士に勝利したというニュースは、ここまで来たかと驚いた人も多かったのではないかと思います。

AIが私たちの仕事を奪うなんてニュースや本を見て、少し不安になっている方もいるかもしれません。

私としては、自分ひとりが取り残されるのは困ってしまいますが、人類全体に関わることなので、これはしょうがないという部類に入るな、と今は思っています。

ただ、この第四次産業革命や、昨今の不穏な世界情勢などから感じる、現代ならではの閉塞感はあるでしょう。

マニエリスムの話題から、文化芸術はその時代の人々の精神状態の影響を受けるというお話をしてきましたが、それでは今の文化はどんな特徴があるのだろうと考えたりします。

文化芸術を生み出す基盤となる社会そのものが、根底から変化しているように思います。

家族のことに関しても、以前より働かない若者や未婚、少子化の問題がありました。最近、不倫の話題が増えましたよね。

健康に関しても、今流行のマインドフルネスなんていったら、脳を休息させる方向の行為ですから、情報の増加に人間がついて行けなくなっているのでしょう。

室町文化の中では能が面白いと思いました

能が成立したのは室町時代の初期、北山文化の時期にあたります。

能は猿楽から発展した芸能といわれています。

同じ猿楽をルーツに、庶民向けにコミカルな劇として発展したのが狂言です。

面白いなと思うのは、能の創始者である観阿弥、世阿弥が信仰していた宗派で、時宗の人のようですね。

時宗といえば、一遍上人が開いた浄土宗の一宗派で、この方は踊念仏を広めた人です。

足利義満が観阿弥を後援したことから能が発展したのですが、室町幕府が保護していた宗教は禅宗の臨済宗ですよね。

私には知識がないので説明できないのですが、鈴木大拙著「続 禅と日本文化」(岩波新書)には、「禅と能」という章で、その関係性が説明されているようです。

観阿弥は時宗の人なので、踊念仏の影響で狂言のような舞台をやっていたように考えてしまうのですが、足利義満の目に留まるほど禅的な要素があったのでしょうか。

一遍上人は鎌倉時代の人ですから、当時は元寇や飢饉などの影響で、庶民の生活は苦しく不安も大きかったでしょうから、踊念仏はそれを忘れるくらい激しい踊りだったのではないかと想像します。

坐禅の静的な修行をイメージしてしまう禅宗とは、全く相容れないように感じてしまいます。

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