考古学が解明していない時代は人々の想像がそれを埋めるようです

二回にわたって、松木武彦著「縄文とケルト」(ちくま新書)に関連したお話をしてきました。

近所にある吉武高木遺跡が、世界史的な関連性の中で語られていたのは、読んでみてとてもよかったと思います。

それに、ケルトについての近年の考古学界の見解。

一口にケルトといっても、人工物、墓、住居など時代や地域によって相当の違いがあり、一個の民族集団の痕跡などとは考えられない。

それがローマの支配から、その後のアングロ・サクソン人やノルマン人などの支配に移って行く。

そのような歴史的背景が、後世に国としてまとまるときの精神的手段として歴史的なアイデンティティが必要とされたとき、基層に広がるケルトのそれに求められた、というようなことでした。

そのことが、漢以降の隣国の支配を受けなかった日本との比較で、より明確に理解できました。

歴史の授業では、日本史と世界史という全く別の時間帯で、関連性なく習ってきました。

当時、この本のような視点から両者の歴史を辿っていたら、かなり興味深い授業になっていたように思います。

とはいうものの、私が中学、高校生だった1970年代は、日本でケルトという言葉はほとんど知られていなかったのではないでしょうか。

最初にケルトを意識したのは、少なくとも私の周りでは、エンヤやU2のようなミュージシャンの影響だったように思います。

同様に、「縄文とケルト」に出てくる吉武高木遺跡や吉野ヶ里遺跡の重要な発見も1980年代半ば。つい最近のように感じます。

今の方がより正確で詳しい情報を得ることができます。

しかし、研究が進んでいない時代の方が、古くはアーサー王の物語にしろ、昭和の邪馬台国論争にしろ、人々の想像の力が事実の空白を埋めるようです。

このような人々の生み出す物語は、私には埋葬品の文化遺産と同じくらい価値があるように思われます。