原ケルトを通して吉武高木の当時の社会が垣間見えたような気がしました

「縄文とケルト」は副題に「辺境の比較考古学」とあるように、アナロジーというキーワードを元に、イギリスに分布するストーンサークルなどの建造物を、日本列島のものと比較して行きます。

アナロジーについて筆者は、別個の事象の間に類似のパターンやイメージを見つけ出し両者を関連づける働き、というような説明をされています。

これは、ユングのいう世界の神話に見られる類似性、つまり「元型」や「集合的無意識」ですよね。

私はこの手の話には弱い。つい買ってしまいます。

この本で知りたかったのは、今の考古学でケルトはどう捉えられているのか、それに筆者の吉武高木遺跡についての見解です。

前者でいえば、青銅器時代の墓から発掘された副葬品から、ヨーロッパ大陸にルーツを持ち、金属加工を生業とする「鋳物師(いもじ)」のような集団がいたらしい。

彼らは、ケルトの活動期に比べるとずっと古いが、副葬品の分布域とケルトの文化域が重なっているため、「原ケルト」と呼んでもいいのでは、というようなことを仰っています。

後者については、副葬品に朝鮮半島をルーツとする外来的な性格が感じられる、などいくつかの理由から、ブリテン島青銅器時代の「鋳物師」の墓と重なって見えた、とあります。

本には「鋳物師」の社会が描かれていますので、そこから吉武高木の当時の社会が垣間見えたような気がしました。

最終章で、大陸との間を隔てる海が狭いか広いかの違いで、漢とローマの時代以降に、イギリスと日本の辿る歴史が変わって行くことが語られています。

そのことが、現代の自分たちのアイデンティティーを形作るきっかけになるんですね。