除夜の鐘にまつわるニュースを読んでお寺を身近に感じてこなかったことに気づきました

プレジデントオンラインに「「除夜の鐘が聞けない」日本唯一の自治体」というタイトルの記事を見かけました。岐阜県に日本で唯一お寺のない自治体があるという内容です。

なんでも明治維新のときの廃仏毀釈の影響らしく、その影響を受けてお寺の数が極端に少ない地域が他にもあるのだとか。

数日前新聞で、福岡市博多区にある東長寺が今年から除夜の鐘を深夜でなく午後六時開始に変更するというニュースを読みました。

こちらは騒音問題と会場整理に当たる世話人の負担軽減のためとのこと。除夜の鐘を早めるケースは全国で起きているそうです。

年末なのでこのようなニュースが目につきます。

私が子供の頃は、大晦日に限らずお寺の鐘の音はよく聞いていたような気がします。

大学生の頃お寺でアルバイトをしている同級生がいて、そのお寺に遊びに行ったとき、お勤めだと思うのですが夕方鐘をついていました。

彼はもともと仏教などに関心を持っていた文学青年だったのですが、鐘をつくたびに合掌していている姿は、修行しているお坊さんのように見えました。

昔はお寺でこのような姿が普通に見られたんだろうなと思います。

そもそも私の家の周りには鐘楼のあるお寺がありません。

以前にも書きましたが、小学校の遠足で毎年行っていた油山観音 正覚寺には鐘楼堂があります。

当時は知りませんでしたが、このお寺は八世紀にインドのお坊さん清賀上人の開基と伝えられ、一休さんと同じ臨済宗とのこと。

子供の頃にこのようなお寺が近所にあれば、お坊さんや坐禅を日頃から身近に感じていて、今とは人生変わっていただろうなと思うと、ちょっと残念な気もするのです。