分不相応な幸運を手に入れてもそれを活かしきれないと思います

鈴木信行著「宝くじで1億円当たった人の末路」(日経BP社)という本があるようですね。

書評を見ると、それ以外にもいろいろな人の末路が書かれているようです。

宝くじに関していえば、インターネット上には高額当選者のその後は破産する話が多く見られます。

それだけの大金を手にすれば、働くことは馬鹿らしくなるでしょうし、仕事を辞めたら辞めたで人生を終えるまでの数十年間、何をして暮らすかという話になりますよね。

静かに考える時間があればまだいいでしょうが、知らない親戚が尋ねてくるでしょうし、資産運用の営業は引っ切り無しにやってくると思います。

知人からこれと同類の話を聞いたことがあります。

昔のことですが、自分の土地に国鉄電車の駅ができるため巨額の立ち退き料を受け取った人が、仕事を辞めたはいいが、暇なので昼間からお酒ばかり飲んで、体を壊した挙句に亡くなった・・・。

このような話を聞くと、人が運用できるお金は分相応に決まっていて、それ以上のお金は身につかないということのようです。

もちろん、中には見たこともない大金を手にしても、立派に運用できる人もいるかもしれませんが、その人は元々そういう資質があったということなのでしょう。

日用品もプログラミングされて驚くような使われ方をするかもしれません

ホームページを使って自社の情報を発信したり、メールフォームで顧客アンケートなどを実施して顧客サービスを行うことも、事務作業でExcelを使うのと同じくらい重要な業務だとは思います。

プログラミングの授業を受けた子供たちが成人して、プログラムを組むことにそれほど抵抗感のない若手社員が増えたならば、ホームページの動きのある表現やメールフォームを使った自動化など、必要だと思ったときに実現できるんじゃないでしょうか。

彼らが社会人になる頃には、Excelのマクロと同じくらいのスキルになっているように思います。

最近体験したのは、ディープラーニングの本を読んでいるとき、見ているだけで頭が痛くなる数式も、Pythonで書いてあるものを見れば理解できたことです。

これはスクリプトをやっていた効用ですね。うれしい驚きでした。

これからは仕事だけでなく、プライベートでもちょっとしたスクリプトを組む機会があるのではないでしょうか。

子供向けのロボットを使ったプログラミング学習キットがあるようですね。

近年いろいろな場面で使われているドローンなども、プログラミングの学習教材になりそうです。

・・・と思い付いて調べてみたらもう商品がありました。

プログラミングの授業を経験した世代はExcelのマクロのように気軽に使うと思います

小学校でプログラミングの授業が必須化されるというお話を、これまで何度か書いてきました。

日々業務をやっていて感じるのは、それはつくづくいいことだなということです。

私はアプリの開発はプログラマーにまかせていますが、それ以外の業務でも簡単なスクリプトならば組む場面はあります。

ホームページの作業をしていて、見る人にとって分かりやすい表現にしたり、使いやすく動作させたりしたいときは、WordPressのようなCMSを利用させてもらいます。

標準の機能でできないことは、ほんの少しPHPを書いてカスタマイズします。

メールフォームなどを使ってメールの自動化やアンケートの集計をしたいときも、Google Driveに用意されているGoogleフォームなどを利用させてもらいます。

標準の機能でできないことも、ほんの少しJavaScriptを書けば済みます。

総務部などで事務をやられている方が、Excelで決まった作業を行うときは、マクロやVBAを使って自動化することはよくあると思います。

そもそも、役所に提出する書類や会議の資料作りにExcelが必要ということになれば、使い方を覚えなければ仕事になりません。

何を持って幸福かということなんだろうと思います

「幸せだから成功する」という考え方は、クリエイティブの世界では当てはまらないこともあるのではないか、というお話をしました。

以前、あるアーティストさんのブログを拝見していたら、その方が昔好きだったアーティストが、幸せになったのか、活動が面白くなくなったと嘆いていらっしゃいました。

アーティストはハングリーでなければ、ということのようでした。

心が満たされている状態では作品を生み出せないということですね。

作品を生み出すためにはエネルギーが必要ですから。

もちろん、今の幸せを守りたい、維持したいというエネルギーもあるのでしょうが、それが作品を生み出すエネルギーに成り得るのかどうかは分かりません。

世の中がお花畑のように感じる人や、幸福の遺伝子を持っている人は、そうでない人に比べて心が安定しているとは思います。

本人が望んでいるのは何か、ということかもしれません。

安定した仕事に就いて、温かい家庭を持って・・・という穏やかな人生を望んでいるのか、その反対に、アスリートや芸術家など、メディアに取り上げられるような活躍をしたいのか。

あえて不幸を望んでいる人はそんなにいないと思います。

幸福であれば上手く行くことばかりでもないような気がします

以前、TEDトークで話題になったので知っている方も多いと思いますが、心理学者のショーン・エイカーさんという方がおっしゃっていた「成功すると幸せになるのではなく、幸せだから成功する」という考え方があります。

簡単にいえば、脳がポジティブな状態のときの方が、ネガティブな状態のときよりも生産性が高くなる。その結果として、成功しやすくなるということのようです。

何を持って成功かという話はちょっと置いといても、一般的なことでいえば、学業やスポーツや仕事でいい成績を上げるということには貢献するだろうと思います。

上手く行かなかったことを散々絞られたあとに行動するよりも、上手く行ったことを賞賛されたあとに行動する方が、全然パフォーマンスが違いそうだということは理解できます。

その一方で、クリエイティブの世界では、この考え方はちょっと当てはまらないような気もしています。

例えば小説家や作曲家、画家のように作品を生み出す人ですね。あるいは役者や歌手のような表現をする人。

もちろん、底抜けに明るいお話や歌というのも、あるにはあると思います。

しかし、じっくりと味わってみたいと思わせる作品には、心を動かされる何かがあるのではないでしょうか。

幸福を感じやすい資質というのはあると思います

先日インターネットを見ていたら、ある人のインタビューで、両親に愛されて育てられたので、世の中はお花畑のようなところだと認識している、みたいなことが書いてあってちょっと驚きました。

今思い出したのですが、大学生のとき同級生たちと飲んでいたら、その中の一人が、両親がとても仲がよくて家庭が心地よかったといっていたので、その人も同じような認識をしていたのかもしれません。

そういう育て方をされたから、というのは確かにあるでしょうが、同じように育てられてもみんなそうなるとは思えません。

持って生まれた資質も影響しているのではないでしょうか。

私の場合は、多分に資質の面が大きいと思いますが、世の中がお花畑のようなところだと感じたことはありません。

以前インターネットで、幸福の遺伝子というものがあるという記事を読んだことがあります。

検索してみてもそれらしい記事は出てくるのですが、その記事が見当たりませんので、詳しいことは分かりませんでした。

子供の頃いくら居心地のいい環境にいたとしても、学校に通う年齢になればいじめに遭う可能性もありますし、就職すればパワハラに遭う可能性もあります。

世界規模の大きな変化なので悲観も楽観もしていません

昨日は高齢化社会やAIの進化などで、人類が予測できない世界になりつつあるというお話で終わっていました。

しかし私はそのことに悲観も楽観もしていません。

人類全体に起こる変化ですから、多くの人がとりあえず納得する結果に終わるだろうと思います。

一番つらいのは、自分だけが何か酷い目にあって、周りはそれに気づかないということではないでしょうか。

今と違って、ウツのような心の病に病名がなかった時代は、怠け者とか変わり者とかのレッテルを貼られていたようです。

現在でも、あまり知られていない病気や怪我などによる後遺症は、本人は苦しいのですが、それをどのように説明しても、本人以外の人にとっては実感しづらいと思います。

そう考えると、自分の家族だけとか、自分の住んでいる地域だけというように、起こっている範囲が狭ければ狭いほど共感者の数も少ないわけで、そのような環境の中で生きて行くのはつらいと思います。

大きな範囲で災害が起きたときは、その近隣の地域を含む人々が、郷土という名の下に助け合うと思いますし、国どうしの紛争であれば、同じ国民の同族意識で助け合おうという機運が高まると思います。

年金制度の変化で定年の考え方が変わりました

私の親が退職した頃は、定年のあとも働き続けるという人は、あまりいなかったような印象があります。

あれから20年以上経って、人々の意識も変わったということなのでしょう。

終身雇用、年功序列に関しては、崩壊したといわれ続けても、当事者の意識はなかなか変わらなかったんじゃないでしょうか。

一方で、定年後に仕事を続けることに関しては、年金支給が65歳からというように制度そのものが変わるわけですから、それまで仕事をしなければならないという現実的な問題があります。

それほど制度の変化というのは現実を変えますから、年金支給が70歳に引き上げられたりするような変化があるたびに、人々の意識は確実に変わって行くのでしょう。

こちらも読んでいませんが、河合雅司著「未来の年表」(講談社現代新書)という本には、人口が減少する世界でどのようなことが起きるのかを予測しているようです。

本の各章のタイトルだけを眺めていても、あまり気分のいい変化ではないようですね。

以前からいわれていますが、シンギュラーポイントが来てAIが人間の能力を超えたら、どのようなことになるか人間では予測できないというのがあります。

定年退職という言葉は時代に合っていないように思います

先日、今年定年を迎えた知人に会ったのですが、就職活動をしているという話をしていました。

その方は見た目も若くてとても60歳には見えません。

洋楽や映画などのカルチャーが好きで、考え方も若いんですね。

私には定年はないのですが、会社員であれば定年を考える歳になりました。

私の知っている経営者の方々は、60代の方も何人かいらっしゃいます。

アクティブシニア交流会の会員さんを見ていても、70代はまだまだ元気です。

今の方は若いので、60歳で定年というのは少し早いのではないかと思います。

以前も書きましたが「LIFE SHIFT」という本で指摘されているように、そのうち人生100年の時代が来るのでしょう。

定年後の人生は長いです。

私は読んでいませんが、「定年後」という本がベストセラーになっているようですね。

同じように考えている方が多いということなのだと思います。

2025年には団塊の世代も後期高齢者になります。

私の親の兄弟で一番年下の叔父さんは団塊の世代ですが、今でも元気に仕事をしています。

当時の日本は「産めよ増やせよ」という言葉があるくらい、兄弟が多いのが普通だったようですね。

小さな頃からパソコンに触れる機会があるのはいいことだと思います

中古であれば、中学生でもお年玉などのお小遣いを溜めて、Androidタブレットを買うことができそうです。

microSDカードは数ギガのものなら千円も出さずに買えるでしょう。

福岡市内であれば、街のいたるところに無料Wi-Fiスポットがありますので、中学生でも望みさえすればモバイルコンピューティング環境を持つことができるんですね。

私の時代からすればうらやましい限りです。

私が小、中学生の頃は、メカといえばラジオ短波が流行ったり、ステレオとカセットテープレコーダーが全盛期を迎えようとしていた時期でした。

しかしそれらは決まった用途に使うためのもので、自分で何かを作り出すものではありません。

一方で、Android上でAndroidアプリを作ることができる開発環境であれば、プログラミングの技術さえあれば、自由にアプリを作ることができます。

しかも、当時の短波ラジオやステレオと比べても、ずっと安く手に入れることができます。

私が大学生の頃にNEC PC-9801を買ったときは、ローンを組んでアルバイトをして払って行くくらい高価なものでした。

スポーツでもアートでも、能力さえあれば世界に向かってアクションを起こせます。