親戚のことを思い出して「80代の仕事の条件は座ってできること」に納得しました

今日買い物のついでに、久しぶりに近所の本屋さんに寄りました。

何か面白そうな本は出ていないか物色していたら、以前ブログにも書いた郡山史郎さんの新刊「定年前後「これだけ」やればいい」(青春新書インテリジェンス)という本が出ていました。

郡山さんは80代の今でも現役で、会社を経営されていらっしゃいます。

前著「定年前後の「やってはいけない」」には、45歳を超えると新しい技能の習得などが難しくなる、というような耳が痛いことが書かれていたのですが、自らの経験を元に書かれているので説得力があります。

新刊の中身をパラパラと眺めていたら、最後の方の「80代以降の働き方」という見出しのあとに、立って話をするような仕事は辛くなるので座ってできるような仕事がいい、というようなことが書いてあります。

ああ、そうですよね。盲点でした。

こりゃまたいろいろと参考になることが書いてありそうだ、と思って買ってしまいました。

このブログでよく話題にするASK アクティブシニア交流会さんは、平均年齢70代。みなさんお元気です。

今日も午前中から会議、午後は定例の交流会、夜は懇親会と一日10時間以上活動されています。このような日が少なくとも月に二回あります。

車検証を一時抹消登録しても楽しんで整備を続けています

今日は久しぶりに晴れて風もなく、時間の余裕もあったので、バイクに油をさしたりして点検していました。

もう三年ほど前になりますが、自転車でコケて顔面骨折して入院したあとに、バイクに乗るのが怖くなって車検証を返納しました。

当時は忙しくてバイクに乗るどころじゃなかったですし、入院中同じ病室でバイク事故にあった方々のあまりにひどい怪我にショックを受けたからです。

それ以来、いつか再登録して再び乗るときのために、定期的にサビなどのチェックをしているんですね。

売ることはあまり考えませんでした。やっぱりバイクが好きだったからです。

とはいうものの、いつか乗るときのために自動車検査証返納証明書をもらう手続きをする人なんて、あまり聞いたことがありません。

それに、あとになって「やっぱりあのとき売っておけばよかった」と後悔するんじゃないか、という不安もよぎりました。

でも自分のバイクも、バイクに乗ることも好きだし、後悔するかどうか試してみるのもいいかなと考えたんですね。

その結果、三年経った今でも全く後悔していません。

たまにバイク雑誌に載っている自分のと同じ車種を見てニンマリしています。

美食家じゃないことは才能だと思うのですが役に立ちそうもありません

私は美食家ではありません。それどころか、口に入るものであれば何でもいいような感じです。ゲテモノはだめですが。

朝食は冷蔵庫にあるもので適当に済ませます。

親がキャベツなど芯に近い硬い部分を捨てているのをたまに見るので、私はそういうところがまだ残っていたら率先して食べます。腸によさそうだし、お腹に入れば一緒だし。

グルメ番組を見ても、そんなに食べたくなることはありません。

親や親戚にも美食家はいるので、こういうのは遺伝じゃなさそうです。

親戚の美食家はインスタントのお味噌汁を飲まなかったり、レンジでチンではなく、必ずオーブンや鍋やフライパンで調理するんですよね。

そういう人が、私が子供の頃によく戦時中や戦後の食糧難のときの話をしていて、食べるものは芋やかぼちゃばかりで辛かったなどといっていたのですが、今にして思えば、私がその状況だったら少し違う感想を持ったかもしれません。

学生の頃から「食べているときが一番幸せだぁ」としみじみつぶやく知人を何人か見てきましたが、彼らもやっぱり美食家だったんでしょうね。

最近よく思うのですが、世の中に食べるものがなくなって、野草や木の実のようなものしか口に入れられなくなっても、私はそんなに困らないと思います。

どちらも悪くないのに気まずいことが起きる状況が分かってしまいました

今日近所のスーパーで夕食を買って自転車置き場に戻ったら、他の自転車がビッチリと横に停まっていました。

買い物した袋を自転車のカゴに入れることができません。

たまたま近くのディスカウントストアで買った、かさばる荷物を肩にかけていたので、手の自由もききません。

「ひゃ〜、もう少し考えて停めてくれれば・・・」とつぶやいた途端、背中の方から「スミマセンね」の声が。

振り返ると人のよさそうなお婆ちゃんが笑って立っています。

自転車の持ち主だったんですね。

ただ苦笑いするしかありませんでした。

しばらくして、似たような状況があったことを思い出しました。

ずいぶん昔、街でバイク置き場になっていたある広場に、私もバイクを停めて用事を済ませて戻ってきたときのこと。

数歩前を歩いていたカップルの会話が耳に入りました。

どうも私のバイクが男性の方が前から欲しかった車種のようで、それが広場に停まっているという話をしています。

女性も「欲しい?欲しい?」とからかっています。

話の内容に気が付いたときには、もうバイクは目の前。

お互い気まずい雰囲気で、そそくさとバイクに跨って帰って行きました。

新しいルーターが送られて来たのを機に三年で近所の環境が変わったことに気付きました

今日新しく契約したWiMAXのプロバイダからルーターが送られてきました。

今までの機種はWX03というタイプで、新しいものはW05。横幅が倍くらい長くなって、重量も倍くらい重くなっています。

通信速度などの性能が上がっているのでしょうが、個人的には速度は遅くてもいいので、軽く小さく電池の持ちがいい方がいいです。

でも世の中のネットのコンテンツはますますリッチになるでしょうから、速度は速くせざるを得ないんでしょうね。

一方で、電源を取る際のコネクタがUSB Type-Cになっているので、いちいち向きを確認する必要がありません。これ好きです。

夕食の買い出しに行くために急いで設定を済ませて、家族に頼まれた栄養ドリンクを買うために、いつも行くお店とは反対方向のディスカウントストアへ。

お店に着いて目当ての商品を探したら売り切れていました。そこで、昨年できたすぐ近くにあるドラッグストアに行ったら、先程のお店の価格より安く売られていました。

この敷地には、BOOKOFFのような買取販売の本屋さんと100円ショップとかなり前に閉店したシューズショップがあったのですが、いったん更地にしたあと大きなドラッグストアと100円ショップが建ったのです。

易や干支の陰陽五行のお話をする際に何の話題から入って行くかを考えています

あるところで易や干支の陰陽五行についてお話する企画を考えています。

私が話せる範囲ですので基礎中の基礎の内容になります。

易や陰陽五行の基本的な仕組みを解説することになりますが、学校の授業のように話をするだけだと聞く方も飽きると思いますので、自分で占ってもらうことも交えようと思います。

易経を説明する際に、よく占いの書でもあり義理の書でもあるという説明がなされます。

ここでの「義理」とは「思想」であったり「哲学」の意味で使われているようです。

金谷治著「易の話」(講談社学術文庫)には、占いの書と義理の書の二面性について次のように書かれています。

「そして、その二つの顔は、けっして一つに重なり合うことはないけれども、実は微妙につながっている。易の面白さは、実はそこにあるといってよかろう。」

私が易に惹かれるのは正にその部分で、占いと思想の境界に立って両方の世界に行き来できるところに魅力を感じています。

干支の陰陽五行についても同じようなイメージを持っているので、占いと思想の両面からお話ができると思っています。

ただ私が面白いと思っていることが他の方も同じとは限りません。

○○の日だから○○しなければというルールに距離を置きたい時代の気分があるのでしょうか

先程思い出したのですが、今日は3月14、ホワイトデーだったんですね。

Yahoo! JapanにもMSN Japanにもそれらしい記事がなかったので気が付きませんでした。

夕食を買い出しに行ったスーパーや、買い物に寄ったディスカウントストアでも気付かなかったので、特に販売コーナーを設けてはいないのでしょう。

ホワイトデーの名前は随分昔からあったと思うのですが、定着しているとはいえないかもしれません。

そういえば恵方巻きも、一時期は盛り上がっていたように記憶しているのですが、去年辺りから売れ残ったものが大量廃棄されている問題の方がニュースに取り上げられている印象があります。

その一方でハロウィンはここ数年、すごく盛り上がっているような気がします。

私にはトレンドを分析する力はありませんので、どういう理由でそうなっているのかは分かりませんが、人為的に流行を作るのは至難の業なんでしょうね。

そもそも私が子供の頃は、プレゼントをしたりお祝いをしたりする日って、盆と正月以外は、父の日や母の日など数えるほどしかありませんでした。

クリスマスでさえケーキを買うぐらいで、今のように街中にきらびやかな装飾が施されることもなかったように記憶しています。

ASKさんの活動を見て自分がインドア派だったことを再確認してしまいました

今日はASK アクティブシニア交流会さんの理事会に呼ばれて行ってきました。

午後2時半からビジネス研究会があるのですが、そのために役員の方が揃うので、別の会場で午前中から開催されたのです。

議題の一つが今の役員の方が忙しかったり、体力的にそろそろ負担になってきたりというような理由で、新しい方にも役員に参加して欲しいとのこと。

確かに月一回の交流会とビジネス研究会の他に、いくつかの愛好会も運営されているので大変さは分かります。

・・・と思ったのですが、よく考えてみると今日は17時までビジネス研究会、17時半から懇親会です。

つまり役員の方は、午前の理事会から丸一日、ASKさんの行事に参加されるんですよね。

私は用事があったので理事会でおいとましたのですが、用事がなくても最後まで参加するのは、私には体力的にきついです。

やはり皆さんその名の通り、アクティブに活動されるのが好きな方々なのだと思います。

私は子供の頃からアウトドアはあまり好きではありませんでした。

趣味のほとんどはインドアです。

数日前、夕食のときにテレビをつけたら、TBS系列で「教えてもらう前と後」という番組をやっていました。

不要なモノやレンタルはまだまだ多いなと思ってしまいます

夕方パソコンを閉じて夕食の買い出しに行こうとしたら、明日の打ち合わせのときに、クライアントさんにわたす領収書を作るのを忘れたことに気付きました。

以前プリンターが壊れたのを機に、必要になったときはコンビニで済ませる生活をしてみようと思い立って、今日までそうしてきました。

日頃からあまりプリントアウトをしないので全然困らなかったのですが、今回は困った。久しぶりに朝からの打ち合わせだと、こういうことになります。

けっきょく打ち合わせのあとに印刷に行くことにしました。

でも、こういうときのためにプリンターを買った方がいいかというと、ランニングコストに見合うだけ使わないのは目に見えているんですよね。

このようなことは他にもいくつか思い付きます。

事務所の電話もほとんど使わないので、もったいないなとは思っています。使っているのは携帯や050のスマホアプリばかりなので。

事業者用固定電話の基本料金は高いですもんね。

サーバー代や年会費を払っているインターネットサービスのいくつかも、事業の利益に結びついていないものがあります。

とはいうものの、知人のシニアの方たちに比べると私などカワイイものです。

現代の価値観とは全く異なる「求塚」という能の内容に衝撃を受けました

先日、岡野守也著「能と唯識」(青土社)という本を注文したことを書きましたが、昨日その本を読んでいて衝撃を受けたことがあります。

観阿弥に関わる作品といわれている「求塚(もとめづか)」の内容です。あらすじは以下。

「旅の僧に尋ねられて求塚に案内し、塚のいわれを語った女性は菟名日乙女(うないおとめ)の亡霊だった。

彼女は小竹田男(ささだおとこ)と血沼丈夫(ちんのますらお)に求愛され、水鳥を射て当てた方に決めようとするが、どちらの矢も当たる。

悩んだ乙女は水に身を投げる。

彼女の亡骸を埋めた塚で二人の男は刺し違えて死ぬ。

地獄で二人の男に責められ、鳥にもつつかれ、さらに地獄の責め苦が彼女を苦しめる。」

ひどくないですか?

菟名日乙女って勝手に愛されただけですよね。水鳥を殺したのも彼女じゃない。なのになぜ彼女だけが地獄で苦しめられなければならないのか。

観阿弥、世阿弥といえば当時のスターのはず。現代で人気者のシナリオライターや俳優がこんなシナリオを書いたら炎上してしまいそうです。

インターネットでこの作品を調べてみるといろいろな解釈があるようです。

PR:カウンセリング・EAP専用チャット管理者となって利用者を見守るチャット