読書について

自分が本当に好きなテーマの本はいつ読んでも面白いんだろうなと思います

昨日、電子書籍になっていない本は読みたいと思っても絶版になっていたら困るので、河合隼雄さんのまだ持っていない本を注文したことを書きました。

それを思い出して、今年に入って買っていた河合さん「影の現象学」(講談社学術文庫)を少しだけと思って読み始めたら面白くなって、今日届いた「源氏物語と日本人」(岩波現代文庫)も気になってしまい、結局二冊合わせて100ページくらい読んでしまいました。

小松和彦さんや若桑みどりさんとともに、好きな人なので絶版になる前に集めようと思ったくらいですから、こうなることは分かっていました。

この方たちは、私がよくブログに書いている唯識仏教や易経も含め、無意識や象徴といったキーワードでつながっています。

多分このテーマは私のライフワークなんじゃないかと思います。

小松さんの「異人論」(ちくま学芸文庫)をまだ読んでいなかったので先日買ったのですが、パラパラとページをめくっていると、「五 山姥の深層心理学」と題して次のような記述がありました。

絶版になっている読みたい本のことがずっと気になっていました

先日ブログで、本屋に行きすぎないことと本を買いすぎないことを決めた、ということを書きました。

「しないことリスト」というほど厳密ではないのですが、自分の中で決めている「できるだけやらないこと」に追加したのです。

すでに読みたい本がたくさんあるのに、これ以上増え続けたら、読みたい本を読めずに寿命が来てしまいます。

とはいうものの、その読みたい本というのは小松和彦さんや河合隼雄さん、若桑みどりさんなど私の好きな人の本であって、この方たちの代表作を全て揃えているというわけではありません。

河合隼雄さんなんて、このあいだ岩波現代文庫に「〈物語と日本人の心〉コレクション」という全六冊シリーズがあるのを知って、さっそく一巻目の「神話と日本人の心」という本を注文したところです。

すぐに読む時間はないのですが、なぜ購入したかというと電子書籍になっていないからなのです。

例えば、昔購入した小松和彦さんの「悪霊論」(ちくま学芸文庫)は面白いなぁと思うのですが、今では絶版になっています。

Kindle版のように電子書籍になっていれば安心なのですが、それがない場合いつ絶版になるか分かりません。

しないことリストに本屋に行き過ぎないことと本を買いすぎないことを追加しました

今日思うところがあって、本屋に行きすぎないことと本を買いすぎないことを決めました。

禁止するわけではないので、しないことリストとはいえないですよね。

それに、私はしないことリストというものを厳密に作っているわけでもありません。数日前にブログに書いた「これからやらないこと」を決めただけです。

子供の頃はプロ野球中継を最後まで見ていました。

その他にプロレス中継、アニメ、ドラマ、映画、バラエティ番組・・・。これじゃ宿題する時間もありません。

大きくなるにつれて、そこまでテレビにかぶりつくことはなくなりましたが、見なくなった時間を他のことに使うようになっただけでした。

そこであるとき決めたのが「これからやらないこと」です。

そこに、冒頭の本屋に行くのと本を買うのを控えるを追加しました。

というのも、最近本屋さんに行っても、以前ほど「これは読みたい」という本がなくなったように感じるのです。

近年ますます新刊がたくさん出ているように感じるので、相対的にそう思うのでしょうか。

それに読みたくてストックしている本や、数回読み返したい本が百冊くらいあります。

古本屋さんめぐりをする人ってこんな感じなのかなと想像してしまいました

先日三宅陽一郎さんというIT業界にいらっしゃる方が、唯識仏教をAIに活用しようとされていることを書きました。

今まで唯識に興味がある人に会ったことはありませんし、ましてやIT業界で研究されている方がいらっしゃるとは思ってもいなかったので、嬉しくなってさらに勉強してみようと思い、本を探していました。

しかし、入門書の次のレベルのようなものになると絶版本が目立つようです。

例えば唯識思想を大成した世親が著した「唯識三十頌(ゆいしきさんじゅうじゅ)」の解説書は太田久紀著「唯識三十頌要講」(中山書房仏書林)、竹村牧男著「唯識の探究―「唯識三十頌」を読む」(春秋社)などがありますが、どちらも在庫切れになっています。

その「唯識三十頌」を護法が注釈し、玄奘が漢訳した「成唯識論(じょうゆいしきろん)」の解説書で、竹村牧男著「「成唯識論」を読む」(春秋社)は販売されているので私は購入しましたが、太田久紀著「成唯識論要講」(中山書房仏書林)は在庫なし、同じ著者の「「唯識」の読み方」(大法輪閣)はPOD(プリント・オン・デマンド)として販売されています。私はを古書で手に入れました。

大型書店に行っても本を衝動買いしなくなった自分にちょっと驚いています

今日久しぶりに天神の大型書店に行って本を物色してきました。

時間がなかったので30分ぐらいしか居られませんでしたが、相変わらず単行本も新書も面白そうな新刊がたくさん並んでいました。

私に興味があるからでしょうが、「ビジネスにアートの視点を」的な内容のものや、「哲学を活用しよう」的な内容のものが増えているように感じました。

数年前までは「あれも読みたいこれも読みたい」と思ってしまって、途中で放置してしまうと分かっているのによく購入していたのですが、最近はそのようなことはなくなりました。

本は買っているのですが、買う本のテーマがある程度決まってきたので、そのテーマ以外の本はあまり買わなくなったのです。

それに先日ブログに書きましたが、「愛読書」というか「座右の書」のようなものができたので、それに目を通していたら他の本を読む時間がないというのもあります。

あれもこれもと闇雲に購入していたときは、読む本のテーマが決まっていたり愛読書を持っていたりする人を羨ましいなと思っていました。

でも自分がある程度そうなってみて分かるのは、そうなったのは単に自分が興味を持っていることを再確認したり、もう年なので残りの人生そんなにたくさん本は読めないと悟ったりしただけです。

「愛読書」というものは50代にもなれば見つかるのかもしれません

ずいぶん前ですが、このブログで自分の好きなテーマの古典を少しずつ読んで行きたいと思ったことを書きました。

そのとき書いたのは、雑誌やインターネットでオススメの本を見るとつい買ってしまって、読んではみるのですが、そんなに面白いと思える本には出会ったことはないということ。

本を読む速度は速くないので、このような読み方をしていたら人がすすめる本だけで一生が終わってしまいます。

というわけで「好きなテーマの古典を・・・」というお話だったのです。

「愛読書」とか「座右の書」などといえる本があれば、そんなことを思う必要はないのですが、自分はそんな本には巡り会えないだろうとどこかであきらめていたんですね。

ところが一年ほど前から、寝る前にほとんど毎日「易経」の解説書や、仏教の深層心理学といわれている唯識の解説書を読んでいます。

易経は本田濟著「易」(朝日選書)の他、計三冊、唯識は太田久紀著「凡夫が凡夫に呼びかける唯識」(大法輪閣)という本です。

特に唯識の本はこれまでに何冊か読んではみたものの、どれも難しくてあまり理解できなかったのですが、この本は唯識の考え方を普段の生活の中から例を挙げて説明しているのでよく理解できます。

易は「ああでもない、こうでもない」といくらでも解釈を楽しめそうです

昨日は易は64卦384爻という膨大な数の物語があるため、それを覚えるとなるととても長い時間がかかりそうだ、というお話をしました。

さらに易には、物語の他にいろいろな特記事項があるようなのです。

例えば陽の横棒3本が上の卦、陰の横棒3本が下の卦で構成されている「天地否(てんちひ)」は、大往小来=徳の優れた人物(大)は去り(往)悪人(小)が支配する(来)という意味があるのですが、本田濟著「易」(朝日選書)には二通りの解釈があるとしています。

その一つに、「風山漸(ふうざんぜん)」という卦の、三番目の陰の横棒と四番目の陽の横棒が入れ替わった、つまり大(陽爻のこと)往き小(陰爻のこと)来るからきた、という説を挙げています。

これは卦変という考え方のようですが、このような考え方もありだとすれば、他の卦にもたくさんパターンがありそうです。

もう一つ特記事項を挙げるとすれば、例えば先ほどの「天地否」の逆、陰の横棒3本が上の卦、陽の横棒3本が下の卦で構成されている「天地泰(てんちたい)」という卦があります。

その三爻目の説明(爻辞)に「食において福あり」という文章があります。

「よく易をおさむる者は占わず」という境地には一生なれないと思います

易の面白さは自分で自由に解釈できるところにあると思っています。

自由といっても、基本的な意味は決まっています。

陰と陽の3本の棒の組み合わせを卦(か)といい、3本全部「陽」であれば「乾(けん)」、3本全部「陰」であれば「坤(こん)」、というように全部で8パターンあります。

8パターンある卦の一つ一つに東西南北や父母長男長女、春夏秋冬のような意味が割り当てられています。

さらにその8パターンを上下に組み合わせて、8×8パターンの計64卦が易全体の構成となります。

例えば「水」の意味の「坎(かん)」卦と「雷」の意味の「震(しん)」卦が組み合わさると「水雷屯(すいらいちゅん)」といい、それ固有の物語があるんですね。

そしてその卦の一本一本の陰陽の棒を「爻(こう)」といって、計6本それぞれに身分であったりの意味があり、それ固有の物語があるんです。

その物語を、最初にいったように自分の占うことに当てはめて解釈するんですね。

占う人は、64種類の卦の物語や384種類の爻(64卦×6爻=384爻)の物語を全部覚えなくてはならないので、こりゃ大変だなと思います。

易経の384爻について詳しく、かつ優しく解説されている本はあまりないようです

箕輪隆素著「艱難を裂く、決断の書「易経」」(幻冬舎)という本を読んでいます。

易の本を紹介されている方のブログを見ていたら、この本を推薦されていたので購入してみました。

以前、本田濟著「易」(朝日選書)をご紹介しましたが、64卦384爻の解説を二回ほど読んでますます興味がわいてきましたので、もう少し違う角度から、かつもう少し初心者に分かりやすい本はないか探していたところでした。

まだ半分くらいしか読んでいませんが、易についてのエピソードがものすごく詳しく書かれていて、何よりほとんどの漢字にルビが振ってあります。

さらに、企業出版という形式を採られている幻冬舎メディアコンサルティングさんが発行されているせいか、560ページを超える大著なのに1,800円+税というお買い得さです。

私のような易の初心者にはとてもお薦めです。

ただ注意していただきたいのは、私は初心者ですので内容についての評価はできません。

著者は長年公立高校に務められた方で、易経の本も書かれている濱久雄さんの「易経講座」の生徒さんでもいらっしゃるので、内容はしっかりしたものだと思います。

外山さんのコラムを読んで、考えていないのは本に限ったことじゃないと分かりました

今までこのブログで、私は昔から一つのことに集中できず、興味の赴くままにあっちフラフラこっちフラフラしてしまう悪い癖があることを何度も書いてきました。

昨日インターネットで外山滋比古さんの「読書が役立つのは30代まで」というコラムを読んで、最近ライプニッツの生きた時代背景とか神秘思想への関わりのような本を面白がっていたことに、「ああ、また悪い癖が出た」と反省しました。

肝心のライプニッツの哲学の本を読み返すこともせず、自分の考えを深めることもしていませんでした。

外山さんのご指摘通り、人が書いている知識ばかり取り入れて安心している。自分がない。

興味のあるものの周辺ばかりに手を出して、その中心(本体)をおろそかにしてしまうんですね。楽をしているんだと思います。

これも以前書いたことですが、ある会社にIT関連業務全般のお手伝いで出向していたとき、「あなたの専門は何ですか?」と聞かれて答えられなかったという話をしました。

パソコンを触るのは好きなので、とりあえず広く浅く知識は吸収する。便利屋さんでしかないわけです。

これがプログラマーやシステムエンジニアとしてその会社に出向しているのであれば、即返答できたと思いますし、それ以前にその方はそんな質問をする必要もなかったと思います。

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