読書について

将来やりたいことがそのままお布施になるかもしれないので嬉しくなりました

先日ブログに、マインドフルネスの普及活動を行っている禅僧のティク・ナット・ハンさんのことを書きました。

この方の思想の土台が唯識にあるということを知って、俄然この方に興味を持ったんですね。この方の本を読んでみようと思っています。

それに先立ち、竹村牧男さんの「知の体系 迷いを超える唯識のメカニズム」(佼成出版社)を再度読み直しています。

この本は、唯識の全体像を分かりやすく解説されているのですが、他の入門書と違うのは、専門用語を省略することなく丁寧に説明してくれているんですね。

そのことがあとがきに書かれています。

「唯識には、確かにむずかしい面がある。その一つの大きな要因として、唯識は全体を通じて述語によって構成されているということがあろう。要は、言葉がむずかしいのである。本来、そのむずかしい術語を一つ一つ修得していくことによってこそ、唯識は了解しうる。このことに留意し、私は本書において、それぞれの術語についてなるべく詳しく解説し、また唯識のものの見方・考え方の基本についてていねいに説明するよう心がけてみた。」

この歳でまだ面白いと思えるジャンルが見つかるのはありがたいことだと思います

民俗学者の吉野裕子さんの本や、河合隼雄さんとユングが心理療法について書いた本を読んでいます。

吉野裕子さんは、日本の民俗で明らかにされていなかったことを、陰陽五行や易を使って紐解いて行くという独自の研究スタイルをお持ちです。

今日読んでいたのは全集(人文書院)の第8巻、「山の神」。原始信仰で人間の祖霊は蛇神であるとの説を展開されています。

その中で、例えば福井県大飯(おおい)郡大島村にある「ニソの杜(もり)」という聖域について書かれている箇所。

謎とされている「ニソ」について次のように推測されています。

那智田楽に北斗七星が「四三(しそ)の星」と唱われていることに対応して、「ニソ」は「二三(にそ)」、つまり「五」の「五黄土気」を意味するのではないか。

陰陽五行では人間は「土気」に分類されるので、ニソの杜は土気の杜として「人祖の杜」となる。五行と原始信仰の習合であろうと結論付けられています。

面白いですね。

「陰陽五行と日本の民俗」(人文書院)という代表作を読んでみたらあまりに面白くて、全集を何冊か買い求めることになりました。

もともと民俗学は好きで、易や陰陽五行も好きで学んでいますので、面白くないわけがないですよね。

すごく面白いと思えるジャンルが見つかれば仕事に結び付けるといいと思います

以前、河合隼雄さんの「カウンセリングの実際」(岩波現代文庫)を読んで、あまりに面白かったのですぐ読み終えてしまったという話をしました。

そのときは、他に河合さんのカウンセリングについての本が数冊あるので買ってみようと思ったけれど、人の心のような答えの出ないものは唯識仏教や易経からヒントを貰っているので、あれこれ手を出さずにそれらを学ぶことを続けて行こうと思ったことも書きました。

しかしその日以降、将来やりたいことを整理しているうちに、カウンセリングそのものよりも、カウンセリングの目的というものがやりたいことに関係していることが分かりました。

なのでそれを理解するために、そのとき保留していた河合さんの「〈心理療法〉コレクション」(岩波現代文庫)のなかの「心理療法序説」と「心理療法入門」を注文したんですね。

今日ほんの数ページずつ読んでみたのですが、やっぱりすごく面白い。

この「すごく面白い」と思える本のジャンルがあることは重要で、そのジャンルとやりたいことが一致すれば、やりたいことが上手く行く可能性はそれなりにあるのではないかと思います。

本は面白そうだと思って読み始めても、すごく面白いと思えるものはそれほどありません。

自分の中にこれ以上小さな石を流し込まないようにしようと考えていました

先日、自分のライフワークのようなものが見えてきたので、そのジャンルの本を読み返したり買ったりしたいが、部屋が読まない本や使わないモノで溢れているので、処分して行きたいというお話をしました。

先日新しい本を数冊買ったので、本棚を空けるため読まない本を探そうとしたのですが、もう読みそうにない本ばかりあります。

十年、二十年前に買ったビジネス書や小説などは、そのときはぜひ読みたいと思ったのでしょうが、今となってはもう興味のないものが多いです。

三十代に入って体を壊して以来、それまでの生活を反省して、今後のヒントになりそうな本を片っ端から探していたことがよく分かります。

そんなことを考えているうちにふと思い出したのが、大学の教授が学生たちの前で石の入った壺を見せるという有名な話。インターネットでよく見かけます。

もう入らないと思っている学生たちの前で、その隙間に小さな石を入れ、さらにその隙間に砂を入れ、最後に水を入れる。

学生たちが「努力をすれば、予定を詰め込むことができるという教訓では」と考えていると、教授は「大きな石を先に入れなければ、二度とそれが入る余地はなくなる」といったという話。

「大きな石とは、君たちにとっていちばん大事なものだ」と。

吉野裕子さんの本の影響で田んぼの案山子を見たら蛇の神様を意識しそうです

今日、「吉野裕子全集 第6巻」(人文書院)の「陰陽五行と童児祭祀」を読んでいました。

「第四章 制水呪術と童児」の「三 古座河内祭の上臈」に、「蛇神としての河内神は祖霊神であると同時に、年穀保証の穀物神である。」とあります。

その説明の中に、「一本足の案山子は、手足のない蛇の造型。」という記述が。

本当ですか。

以前どこかで、案山子は世の中のことを何でも知っている神様だという話を読んだことがあるのですが、蛇の神様だとは知りませんでした。

ここ数年、お米の収穫の時期に田んぼに立っている案山子を見ると、神様を意識するようになっていたのですが、今後は蛇の神様に見えてくるかもしれません。

吉野さんは蛇についての本も書かれていたことを思い出したので調べてみると、講談社学術文庫に「蛇」と「山の神」というタイトルの本がありました。

「読書メーター」というWebサイトを見てみると、どちらの本も読んだ人の感想がズラッと並んでいます。

中には論理が飛躍しすぎとか、陰陽五行や易のことをよく知らないので理解できないところがある、などの感想がちらほら。

読まない本は処分して行かなければ終活が大変なことになると思いました

最近、買った本を手に取れるところに置く場所がなくなってきました。

この二、三年くらいの間に自分のライフワークのようなものが見えてきたので、買う本のジャンルもだいたい決まっています。

それに関連した本を手元に置きたいのですが、そう広い部屋でもないのに読まない本や使わないモノが多すぎるんですね。

ライフワークのようなものを探し始めて十数年経ってしまいましたが、探す途中で色々なジャンルの本を試し買いして来ました。

それこそビジネス書や自己啓発本、小説、歴史、など何でもあり。

それに学生のときに買って影響を受けた本は捨てないで取っているので、そういうのも本棚の奥に並んでいます。

もちろん、もう読まないと簡単に判断できる本は処分してきました。

IT関連の解説書なんてその代表です。言語仕様が古くなったプログラミング言語の本とか、あまり使われなくなったCMSの本とか。

心にあまり響かなかったビジネス書や自己啓発本も同じです。

一方で、少しでも共感したりためになったと感じた本は、捨てられないんですよね。いつか再読するに違いないと思うわけです。

そして五十を半ば過ぎて、そのような本はあったかというと・・・ほとんどないんじゃないかなぁ。

陰陽五行や易を学ぶほど吉野裕子さんの本は面白くなるかもしれません

ここ数日、陰陽五行に関する本を読んでいることを書いています。

今日は吉野裕子著「陰陽五行と日本の民俗」(人文書院)を読んでいました。

今まで民俗学で謎とされていたことなどが、吉野さんによってあざやかに読み解かれて行きます。

例えば、千葉県の香取神社例祭は泥祭りと呼ばれ、利根川の氾濫を抑えるために行われているといわれています。

そのお祭りですが、池の中に入って神輿を担ぐ青年たちに向かって、子どもたちが泥を投げつけるというもの。

吉野さんは、この行為を易によって解釈されています。

青年=中男は坎(かん)卦。この卦には水の意味も含まれています。

子供=小男は艮(ごん)卦。この卦には山=土の意味も含まれています。

五行の関係でいえば土剋水(どこくすい)。つまり、土で川の氾濫を抑えるということですね。

この他にも、お祭りの時期やご神体も陰陽五行に当てはめて考察されています。

面白いですよね。

何だか推理小説を読んでいるようなスリルがあります。

しかし一方で、日頃から十干や十二支に親しんでいたり易の知識があったりしなければ、謎を読み解いて行く面白さが伝わらないんじゃないかと思いました。

自分が本当に好きなテーマの本はいつ読んでも面白いんだろうなと思います

昨日、電子書籍になっていない本は読みたいと思っても絶版になっていたら困るので、河合隼雄さんのまだ持っていない本を注文したことを書きました。

それを思い出して、今年に入って買っていた河合さん「影の現象学」(講談社学術文庫)を少しだけと思って読み始めたら面白くなって、今日届いた「源氏物語と日本人」(岩波現代文庫)も気になってしまい、結局二冊合わせて100ページくらい読んでしまいました。

小松和彦さんや若桑みどりさんとともに、好きな人なので絶版になる前に集めようと思ったくらいですから、こうなることは分かっていました。

この方たちは、私がよくブログに書いている唯識仏教や易経も含め、無意識や象徴といったキーワードでつながっています。

多分このテーマは私のライフワークなんじゃないかと思います。

小松さんの「異人論」(ちくま学芸文庫)をまだ読んでいなかったので先日買ったのですが、パラパラとページをめくっていると、「五 山姥の深層心理学」と題して次のような記述がありました。

絶版になっている読みたい本のことがずっと気になっていました

先日ブログで、本屋に行きすぎないことと本を買いすぎないことを決めた、ということを書きました。

「しないことリスト」というほど厳密ではないのですが、自分の中で決めている「できるだけやらないこと」に追加したのです。

すでに読みたい本がたくさんあるのに、これ以上増え続けたら、読みたい本を読めずに寿命が来てしまいます。

とはいうものの、その読みたい本というのは小松和彦さんや河合隼雄さん、若桑みどりさんなど私の好きな人の本であって、この方たちの代表作を全て揃えているというわけではありません。

河合隼雄さんなんて、このあいだ岩波現代文庫に「〈物語と日本人の心〉コレクション」という全六冊シリーズがあるのを知って、さっそく一巻目の「神話と日本人の心」という本を注文したところです。

すぐに読む時間はないのですが、なぜ購入したかというと電子書籍になっていないからなのです。

例えば、昔購入した小松和彦さんの「悪霊論」(ちくま学芸文庫)は面白いなぁと思うのですが、今では絶版になっています。

Kindle版のように電子書籍になっていれば安心なのですが、それがない場合いつ絶版になるか分かりません。

しないことリストに本屋に行き過ぎないことと本を買いすぎないことを追加しました

今日思うところがあって、本屋に行きすぎないことと本を買いすぎないことを決めました。

禁止するわけではないので、しないことリストとはいえないですよね。

それに、私はしないことリストというものを厳密に作っているわけでもありません。数日前にブログに書いた「これからやらないこと」を決めただけです。

子供の頃はプロ野球中継を最後まで見ていました。

その他にプロレス中継、アニメ、ドラマ、映画、バラエティ番組・・・。これじゃ宿題する時間もありません。

大きくなるにつれて、そこまでテレビにかぶりつくことはなくなりましたが、見なくなった時間を他のことに使うようになっただけでした。

そこであるとき決めたのが「これからやらないこと」です。

そこに、冒頭の本屋に行くのと本を買うのを控えるを追加しました。

というのも、最近本屋さんに行っても、以前ほど「これは読みたい」という本がなくなったように感じるのです。

近年ますます新刊がたくさん出ているように感じるので、相対的にそう思うのでしょうか。

それに読みたくてストックしている本や、数回読み返したい本が百冊くらいあります。