読書について

古本屋さんめぐりをする人ってこんな感じなのかなと想像してしまいました

先日三宅陽一郎さんというIT業界にいらっしゃる方が、唯識仏教をAIに活用しようとされていることを書きました。

今まで唯識に興味がある人に会ったことはありませんし、ましてやIT業界で研究されている方がいらっしゃるとは思ってもいなかったので、嬉しくなってさらに勉強してみようと思い、本を探していました。

しかし、入門書の次のレベルのようなものになると絶版本が目立つようです。

例えば唯識思想を大成した世親が著した「唯識三十頌(ゆいしきさんじゅうじゅ)」の解説書は太田久紀著「唯識三十頌要講」(中山書房仏書林)、竹村牧男著「唯識の探究―「唯識三十頌」を読む」(春秋社)などがありますが、どちらも在庫切れになっています。

その「唯識三十頌」を護法が注釈し、玄奘が漢訳した「成唯識論(じょうゆいしきろん)」の解説書で、竹村牧男著「「成唯識論」を読む」(春秋社)は販売されているので私は購入しましたが、太田久紀著「成唯識論要講」(中山書房仏書林)は在庫なし、同じ著者の「「唯識」の読み方」(大法輪閣)はPOD(プリント・オン・デマンド)として販売されています。私はを古書で手に入れました。

大型書店に行っても本を衝動買いしなくなった自分にちょっと驚いています

今日久しぶりに天神の大型書店に行って本を物色してきました。

時間がなかったので30分ぐらいしか居られませんでしたが、相変わらず単行本も新書も面白そうな新刊がたくさん並んでいました。

私に興味があるからでしょうが、「ビジネスにアートの視点を」的な内容のものや、「哲学を活用しよう」的な内容のものが増えているように感じました。

数年前までは「あれも読みたいこれも読みたい」と思ってしまって、途中で放置してしまうと分かっているのによく購入していたのですが、最近はそのようなことはなくなりました。

本は買っているのですが、買う本のテーマがある程度決まってきたので、そのテーマ以外の本はあまり買わなくなったのです。

それに先日ブログに書きましたが、「愛読書」というか「座右の書」のようなものができたので、それに目を通していたら他の本を読む時間がないというのもあります。

あれもこれもと闇雲に購入していたときは、読む本のテーマが決まっていたり愛読書を持っていたりする人を羨ましいなと思っていました。

でも自分がある程度そうなってみて分かるのは、そうなったのは単に自分が興味を持っていることを再確認したり、もう年なので残りの人生そんなにたくさん本は読めないと悟ったりしただけです。

「愛読書」というものは50代にもなれば見つかるのかもしれません

ずいぶん前ですが、このブログで自分の好きなテーマの古典を少しずつ読んで行きたいと思ったことを書きました。

そのとき書いたのは、雑誌やインターネットでオススメの本を見るとつい買ってしまって、読んではみるのですが、そんなに面白いと思える本には出会ったことはないということ。

本を読む速度は速くないので、このような読み方をしていたら人がすすめる本だけで一生が終わってしまいます。

というわけで「好きなテーマの古典を・・・」というお話だったのです。

「愛読書」とか「座右の書」などといえる本があれば、そんなことを思う必要はないのですが、自分はそんな本には巡り会えないだろうとどこかであきらめていたんですね。

ところが一年ほど前から、寝る前にほとんど毎日「易経」の解説書や、仏教の深層心理学といわれている唯識の解説書を読んでいます。

易経は本田濟著「易」(朝日選書)の他、計三冊、唯識は太田久紀著「凡夫が凡夫に呼びかける唯識」(大法輪閣)という本です。

特に唯識の本はこれまでに何冊か読んではみたものの、どれも難しくてあまり理解できなかったのですが、この本は唯識の考え方を普段の生活の中から例を挙げて説明しているのでよく理解できます。

易は「ああでもない、こうでもない」といくらでも解釈を楽しめそうです

昨日は易は64卦384爻という膨大な数の物語があるため、それを覚えるとなるととても長い時間がかかりそうだ、というお話をしました。

さらに易には、物語の他にいろいろな特記事項があるようなのです。

例えば陽の横棒3本が上の卦、陰の横棒3本が下の卦で構成されている「天地否(てんちひ)」は、大往小来=徳の優れた人物(大)は去り(往)悪人(小)が支配する(来)という意味があるのですが、本田濟著「易」(朝日選書)には二通りの解釈があるとしています。

その一つに、「風山漸(ふうざんぜん)」という卦の、三番目の陰の横棒と四番目の陽の横棒が入れ替わった、つまり大(陽爻のこと)往き小(陰爻のこと)来るからきた、という説を挙げています。

これは卦変という考え方のようですが、このような考え方もありだとすれば、他の卦にもたくさんパターンがありそうです。

もう一つ特記事項を挙げるとすれば、例えば先ほどの「天地否」の逆、陰の横棒3本が上の卦、陽の横棒3本が下の卦で構成されている「天地泰(てんちたい)」という卦があります。

その三爻目の説明(爻辞)に「食において福あり」という文章があります。

「よく易をおさむる者は占わず」という境地には一生なれないと思います

易の面白さは自分で自由に解釈できるところにあると思っています。

自由といっても、基本的な意味は決まっています。

陰と陽の3本の棒の組み合わせを卦(か)といい、3本全部「陽」であれば「乾(けん)」、3本全部「陰」であれば「坤(こん)」、というように全部で8パターンあります。

8パターンある卦の一つ一つに東西南北や父母長男長女、春夏秋冬のような意味が割り当てられています。

さらにその8パターンを上下に組み合わせて、8×8パターンの計64卦が易全体の構成となります。

例えば「水」の意味の「坎(かん)」卦と「雷」の意味の「震(しん)」卦が組み合わさると「水雷屯(すいらいちゅん)」といい、それ固有の物語があるんですね。

そしてその卦の一本一本の陰陽の棒を「爻(こう)」といって、計6本それぞれに身分であったりの意味があり、それ固有の物語があるんです。

その物語を、最初にいったように自分の占うことに当てはめて解釈するんですね。

占う人は、64種類の卦の物語や384種類の爻(64卦×6爻=384爻)の物語を全部覚えなくてはならないので、こりゃ大変だなと思います。

易経の384爻について詳しく、かつ優しく解説されている本はあまりないようです

箕輪隆素著「艱難を裂く、決断の書「易経」」(幻冬舎)という本を読んでいます。

易の本を紹介されている方のブログを見ていたら、この本を推薦されていたので購入してみました。

以前、本田濟著「易」(朝日選書)をご紹介しましたが、64卦384爻の解説を二回ほど読んでますます興味がわいてきましたので、もう少し違う角度から、かつもう少し初心者に分かりやすい本はないか探していたところでした。

まだ半分くらいしか読んでいませんが、易についてのエピソードがものすごく詳しく書かれていて、何よりほとんどの漢字にルビが振ってあります。

さらに、企業出版という形式を採られている幻冬舎メディアコンサルティングさんが発行されているせいか、560ページを超える大著なのに1,800円+税というお買い得さです。

私のような易の初心者にはとてもお薦めです。

ただ注意していただきたいのは、私は初心者ですので内容についての評価はできません。

著者は長年公立高校に務められた方で、易経の本も書かれている濱久雄さんの「易経講座」の生徒さんでもいらっしゃるので、内容はしっかりしたものだと思います。

外山さんのコラムを読んで、考えていないのは本に限ったことじゃないと分かりました

今までこのブログで、私は昔から一つのことに集中できず、興味の赴くままにあっちフラフラこっちフラフラしてしまう悪い癖があることを何度も書いてきました。

昨日インターネットで外山滋比古さんの「読書が役立つのは30代まで」というコラムを読んで、最近ライプニッツの生きた時代背景とか神秘思想への関わりのような本を面白がっていたことに、「ああ、また悪い癖が出た」と反省しました。

肝心のライプニッツの哲学の本を読み返すこともせず、自分の考えを深めることもしていませんでした。

外山さんのご指摘通り、人が書いている知識ばかり取り入れて安心している。自分がない。

興味のあるものの周辺ばかりに手を出して、その中心(本体)をおろそかにしてしまうんですね。楽をしているんだと思います。

これも以前書いたことですが、ある会社にIT関連業務全般のお手伝いで出向していたとき、「あなたの専門は何ですか?」と聞かれて答えられなかったという話をしました。

パソコンを触るのは好きなので、とりあえず広く浅く知識は吸収する。便利屋さんでしかないわけです。

これがプログラマーやシステムエンジニアとしてその会社に出向しているのであれば、即返答できたと思いますし、それ以前にその方はそんな質問をする必要もなかったと思います。

外山滋比古さんの「読書が役立つのは30代まで」というご指摘に耳が痛いです

ここ数日、ダ・ヴィンチ、ニュートン、ライプニッツのような自然科学の礎を築いた人たちと宗教との関係が書かれた本を読んで、記事にしていました。

このような関係に興味を持ったのは、ライプニッツを読むようになったのがきっかけですが、特に三田誠広さんの本には多くの思想や団体が登場して、ますます興味が増しました。

しかし当事者たちがこのような思想や団体に関わっていたのは、純粋に科学原理を追求する目的のためであって、オカルティックなものを信奉したということではなさそうです。

本に紹介されているいくつかの思想をたどって行けば、私が興味を持っている東洋の思想に繋がるようなので、面白いと思ったんですね。

以前、ライプニッツのモナド論と華厳経の関連性を指摘した論文のことを書きましたが、その例でいえば新プラトン主義の哲学者プロティノスを介して、華厳経とライプニッツが繋がっている、というようなことです。

何だか興味の赴くままに本を探して買っていたらきりがないな・・・と思ってインターネットを見ていたら、PRESIDENT Onlineに外山滋比古さんの「94歳が断言"読書が役立つのは30代まで"」というコラムがありました。

外山さんといえは「思考の整理学」(ちくま文庫)。私もずいぶん前に読みました。

人の興味というのは基本的には変わらないのかもしれません

意思の力でストイックに仕事だけを続けていても、いつかは心がそれについて行けなくなるようです。

私の場合は、ある日電車に乗っていて、パニック障害という発作が起きてそのことを理解しました。

仕事をセーブして療養しているときに、心もケアしなければということに気が付いて、自分が昔好きだったことを思い出そうとしたことを昨日書きました。

「ロシア・アヴァンギャルド」は、ストイックな生活を始める前に買ったのか、療養中に買ったのか忘れましたが、「音楽のヨーロッパ史」を買ったのは療養中でした。

音楽は子供の頃から好きでしたが、大学生から社会人にかけて、ワールドミュージックや古楽など、ポピュラーミュージック以外にも興味を持っていたことを思い出したんですね。

以前、「古代ギリシャの音楽」というCDが少し話題になったことがあるのですが、そのような音楽に興味がある人には、「音楽のヨーロッパ史」は好奇心を満たしてくれると思います。

美術館に行ったり、美術の本をたまに買ったりしだしたのは、大学生の頃からなのですが、知識は増やしたいと思っていましたので、「ロシア・アヴァンギャルド」を買ったのだと思います。

何年経っても以前好きだったことに触れると心がホッとします

亀山郁夫著「ロシア・アヴァンギャルド」は1996年に出版されており、上尾信也著「音楽のヨーロッパ史」は2000年に、佐藤晃子著「日本の絵画50」は2006年に、それぞれ出版されています。

この順番に購入したのは記憶しています。

出版された時期のことを思い出してみると、「ロシア・アヴァンギャルド」の頃は、今まで何度か書きましたが、私は体を壊してしまって、「日本の絵画50」の頃に何とか回復していました。

大学生の頃や社会人になってからも、せっかく東京にいるのだからと、ちょくちょく美術展に出かけていました。

その頃出版されていた、例えば「週間グレートアーティスト」(同朋舎出版)のような雑誌も、気に入った号は集めていました。

しかし30歳過ぎに独立してからは、とにかく仕事を頑張らねば・・・とそのような行為を封印してしまったんですね。

そんな生活をしばらく続けた結果、心身が病んでしまいました。

まともに仕事なんてできませんので、休養するしかありません。

そんなときに気付いたんですね。

ストイックであり続けようとしても無理。好きなことでたまに心に潤いを与えなきゃ長くは続かない。昔好きだったことは何だろう。

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