ソフト開発の世界で私にとっての大きな変化は少し特殊かもしれません

私はプログラマーではありませんので、開発環境などの正確な情報は分かりませんが、ディレクターとして開発の世界を横目で見ていた限りでも、いくつかの大きな変化は感じてきました。

ハードやOSでいえば、パソコンはMS-DOSがWindowsになり、ゲーム機はファミコンがスーパーファミコンになり、プレイステーションが発売され、という変化です。

私にとって何が印象的だったかといえば、開発の規模なんですね。どんどん大きくなって行きました。

以前お話しましたが、富士通のFM-7やNECのPC-8801の頃はごく少人数で開発していて、マニュアルは私が執筆していましたし、グラフィックやイラストが足りなければ、会社に出入りしている人に、アルバイト料を払って描いてもらったりしていました。

人手が足りないので、自分たちでできることはやるという牧歌的な時代で、それはそれでとても楽しかった記憶があります。

そのうち業界も大きくなって、スーパーファミコンやプレイステーションのゲームを担当するようになると、複数のプログラマーやグラフィックデザイナーが関わるようになり、私の仕事は人とスケジュールとお金の管理がメインになります。

現場では開発環境も劇的に変わって行きましたが、私にとっては、開発体制が完全に分業制になり、仕事のやり方がシステマティックになって行ったことが、最も変わったと感じたことです。

私が独立した動機は、自分でモノを作りたいことにあったので、その変化が耐えられなかったのですね。

独立して自社で最初に開発したのは、Windows用のソフトウェアMIDI音源でしたが、これなどはパソコンが高速になったからこそ実現できたモノです。

このことも、私にとっては大きなインパクトがありました。

デジタルシンセサイザーが出始めの頃は、とんでもなく高価なものでした。

それが1980年代に入り、YAMAHA DX7が発売されたあたりから、急激に安くなって行ったように思います。

私も堪らずローンで手に入れ、MSXパソコンに繋いで、音色作りに熱中したものです。

それがいつの間にか、自分の会社でパソコンでデジタル音源をシミュレーションする時代になり、今ではフリーで手に入れることができるようになりました。