HSPにとって瑜伽行唯識派の思想は最適なんじゃないかと思います

今日、以前読んだ服部正明/上山春平共著「仏教の思想 4 認識と超越<唯識>」(角川文庫ソフィア文庫)の著者お二方の対談部分を読んでいました。

私にとっては難しい本なので、二、三度読んだだけでは頭に入りません。

すると次のような箇所に目が留まりました。

「服部:ええ。ですから、唯識の思想体系は瑜伽行-ヨーガの実践と深い関連を持っています。
上山:その点ですが、中観では瑜伽行というのは正面に出てこないでしょう。
服部:「般若」の知恵は瞑想によって得られるのですけれども、中観の哲学には実践的な契機が表面にあらわれていませんね。 (中略) 空を現実の心に対置することによって、現実の心は汚れているもの、煩悩をもつものとしてとらえられ、そこから空を主体的に追及する立場、つまり瑜伽行の実践が生まれてきます。六識に常に伴っている自我意識や、その根底にある潜在意識としてのアーラヤ識は、そういう実践的関心から自覚されてきたのだと思います。」

確かに以前中観の解説書を読んだとき、実践を説いているところはあまり見かけなかったように思います。

あえてこのようなことを意識すると、ふとHSP(Highly Sensitive Person)のことを思い出しました。

以前にも書きましたが、HSPが知られるようになったきっかけの一つ、エレイン・N・アーロン著「ささいなことにもすぐに「動揺」してしまうあなたへ。」(ソフトバンク文庫)に、次のような瞑想を勧めている箇所がありました。

「瞑想をする人は、前章で述べたような、長期的な神経の高ぶりを示しにくいという研究報告もある(瞑想中、血液中のコルチゾールは減少する)。まるで、瞑想がHSPに必要なものをすべて与えてくれるかのようだ。」

私もそうですが、この本のおかげで、HPSを自覚する人がずいぶん増えたのではないかと思います。

HSPの人は、神経の敏感さゆえに日常生活で苦労することが多い。

今では心理学を応用した、その敏感さを克服するための本が増えました。

唯識仏教は仏教の深層心理学という側面もあるのですが、大事なのは瑜伽行、つまりヨガの実践なんですね。

先ほどの対談部分を読んだときに、HSPの人にとって瑜伽行唯識派の思想は最適なんじゃないかと思ったのでした。