みんな物語を欲しているなと思っていたら、一番欲しているのは自分でした

昨日お話したライムンドゥス・ルルスは、記号の操作で文字列を生成する機械を考案した人です。

そのアイデアをライプニッツが気に入って、それを発展させた「結合法論」という著作を書き、のちに機械仕掛けの計算機を作り上げます。

このようなことを考える人たちですので、とても論理的な思考を持っていたはずなのですが、熱心なキリスト教徒だったせいか、ちらほら秘密結社や錬金術の話が聞こえてくる。

ルルスなんて魔術師のように扱われた時期もあったらしい。

このような扱われ方は、陰陽師の安倍晴明と似たような感じを受けます。

この人は優れた天文学者で、国家にとって重要な暦を作る仕事をしていた公務員ですよね。

当時としては最先端の科学であっても、普通の人にとっては得体の知れない魔術なわけです。

そのイメージが、後世の人たちによって、平安京に跋扈する魔物を式神を操って退治する人物に作りなおされます。

ある程度重要なノンフィクションさえあれば、フィクションで脚色しても、それが面白ければ面白いほど人は感情移入できるのでしょう。

刀女子なんてその典型ですよね。

「刀剣乱舞」というゲームが火付け役のようです。

名刀といわれるものは歴史的なエピソードも多いでしょうから、それを基にいくらでも物語は作れると思います。

ただ、その日本刀がイケメンに擬人化されているのです。

人が物語で楽しむときの想像力は、すごいものだと思います。

というようなことを考えていたら、もしかすると物語で一番楽しみたいのは自分ではないかと思えてきました。

以前からこのブログで、コンピューターを使い始めて今まで飽きないのはなぜかを考えてきました。

コンピューターパワーは、ゲームや事務作業の効率化から始まって、今やAIや量子コンピューターなど留まるところを知りません。

ルルスやライプニッツを知らないうちから、コンピューターには錬金術的なものを感じると書いてきたのですが、彼らを起源とすることを知ってからは、よりワクワクする物語を欲しているようです。