習慣化できることはもともと潜在意識が望んでいたからのような気がします

実はこのようなやり方で習慣化したものがあります。

バイオリンと英語です。

ただこちらも「ほんの小さなことをやる」や「1分間だけやってみる」とあまり変わりません。

ですので、何年経ってもバイオリンも「弾ける」というレベルではなく、英語も「できる」というレベルではありません。

しかしこの程度の習慣でもメリットはあります。

毎日触れることで日常の一部になる、触れることが怖くなくなる、というようなこと。

昔からバイオリンの音色に憧れていたのですが、高いお金を出してどんなに練習しても「ギィーコギィーコ」という音しか出なかったらどうしようと思って、おそるおそる渋谷のイケベ楽器店で9800円のバイオリンセットを買ったことがあります。

中学校の英語は授業の記憶さえありませんし、高校の分厚いマスタリーの教科書は見ているだけでもどんよりした気分になっていました。

今ではそのようなこともないのですから。

とここまで書いてきて、昨日の坐禅を含む三つの習慣化は、潜在意識は望んでいたけれど顕在意識か何かが拒否していたことだったような気もしてきました。

これが何も拒否するものがなく潜在意識が望んでいるものであれば、意識的に習慣化することもなく、すでにやっていると思います。

潜在意識が望んでいないものは、「ほんの小さなことをやる」や「1分間だけやってみる」でも習慣化できないんじゃないかと思います。

HSPのような心の不安定な状態を改善するには坐禅が有効だと聞いて安心しましたし、バイオリンの音色は楽器の中でも一番といっていいくらいに好きです。

英語のような言語で読み書きするときは、ネイティブ言語のときと思考も性格も変わる、なんて聞くとワクワクします。

だから習慣化できたのかもしれません。