昨日はウンベルト・エーコの小説「フーコーの振り子」の在庫がもう切れていたため、買えなくなってはマズいと思い、中古本を買ったことをお話しました。
仕事の合間にほんの十数ページ、目を通してみました。
Amazonなどの読者のレビューを見ると、同著者の小説「薔薇の名前」よりも内容が難しいと書いてあるだけあって、最初の「振り子」の説明から難解です。
先が思いやられる・・・。
しかしぜひ読んでみたいと思ったのは、小説は錬金術や秘密結社などの多くのオカルトを題材にしながら、虚構に過ぎないことにも意味を持たせようとする人の心性を、エーコは描いているらしいからです。
以前三田誠広さんの本を読んだときも、ニュートンのような科学者たちは、神を信じるがゆえに神の原理=科学原理を追求したわけで、彼らの錬金術師のような怪しげなオカルト研究のイメージも、後世の人の脚色から来ていることを知りました。
ウンベルト・エーコの「完全言語の探求」にも、ライムンドゥス・ルルスの「大いなる術」が後世の人々によってカバラと結び付けられ、魔術師のようなイメージに変えられていく過程が描かれています。
私はオカルト自体ではなく、オカルトを求める人間の心理にとても興味があります。オカルトに限らず神秘的なもの、不思議なもの全般です。
ブログにも何度か書いていますが、陰陽師の安倍晴明も、当事としては最先端だった天文学の技術を持つ国家公務員ですよね。
実際に会ってみたら、不思議な雰囲気などまったく感じられない、真面目な人物である可能性もあると思います。
それが後世になると、式神を操る超能力者のような姿で描かれるようになるのです。
エーコも「フーコーの振り子」でそんな人の心の変化を見せてくれるんじゃないか、と楽しみにしています。