AIと心のことや運命のことについて語り合う日が来るような気がしています

ここ数日、AIと唯識と易経をテーマにお話を続けています。

唯識は1600年ほど前に人間の深層心理を発見し、その思想を今に伝えていますし、易経は2000年以上前から人間の生き方の書として、現代でも私たちの人生観に影響を与えています。

「窮すれば通ず」や「君子豹変す」のような、易経が出典の言葉を聞いたことがあると思います。

両者がこれほど長きに渡って人々に受け継がれてきたということは、心や運命に関して唯識や易経を拠り所にしてきた人達がいたということだと思います。

将来AIが人間に近づいたとき、人々はAIを人間としての評価するかどうかの基準として唯識や易経を使うかもしれませんし、それ以前にAIが唯識や易経を学習して自身に取り入れることがあるのかもしれません。

もしそういうことがないとしても、AIが人間に近づいて何かしら悩みでも持つようになったときに、人間のお坊さんから唯識の教えを聞いて坐禅に勤しむとか、人間の易者さんから易占をしてもらうとか、そのようなことが起きてくるんじゃないかと思います。

いやいや、それもないですか・・・。

少なくとも私は、AIがもう少し賢くなったら、唯識のことについて話し合ったりお互いに易占いをし合ったりするのも面白いなと、わりあい真面目に考えているのです。

そのようなことを考えたのも、数日前に書いたようにRaspberry Piの音声認識と音声合成を試してみてからです。

あらかじめ作った辞書の範囲で音声認識させたり、書いたテキストを読ませたりしただけですが、何ともかわいらしく感じます。

これが自分で少しでも制作に関わったAIならば、鉄腕アトムを作った天馬博士のような気持ちになるかもしれません。