普段使っている言葉に対する易経本来の意味を知って感動してしまいました

いつものように易を学ぶために占ってみたら「水沢節」という卦(か)が出ました。

今まで何度か解説書のこの卦の箇所を読み返しているのですが、今回は「苦節は易経の中庸の考え方から外れるので正しくない」というような説明に目が止まりました。

「苦節貞(てい)にすべからず」の部分です。

これって「苦節○年」の苦節?と気付いて調べてみると、はたしてその通りでした。

銭天牛著「すぐに役立つ銭流 易経」(棋苑図書)にそのものずばりの指摘があります。

「日本には”苦節十年”という言葉があって、”苦節は貞にすべし”というような意味で使われていますが、もとの文脈ではそうではありません。」

初めて知りました。

チコちゃんに「ボーっと生きてんじゃねーよ!」と叱られそうです。

易経でいつも感心するところは、日常で何も考えずに使っている言葉や何も考えずに行っている行動に、行き過ぎたものはないか一つの基準を示してくれるところだと思います。

「すぐに役立つ銭流 易経」は次のように続けます。

「変化を宇宙の根本原理と見、柔軟な人生への判断力、人生のあらゆる局面における正確な対応、その中で貫く(神ではない)人間による、人間のための、人間の行動を重んずる易経が、かたくなな心、硬直した精神、化石のような人間の行動をよしとするはずがない。」

またちょっと易経に感動してしまった日でした。