個人的に唯識仏教のすごいなぁと思うところ

数日前に、私が持っている唯識の本の心所有法について書かれている箇所を読み返していることを書きました。

心所有法とは心の働き、心の作用の面を細かく分析したものです。

唯識は大乗仏教の深層心理学ともいわれていて、私はその部分への興味から唯識に入って行ったのですが、この心所有法がまさに私の興味と合致するんですね。

しかし合致するとはいっても、心所は六つのグループ、五十一種類に分類されているので、全部に興味があるというわけでもありません。

今回その分類の中でも特に興味をひかれるところが分かったので、読み返してよかったと思っています。

一つは六つのグループの最初、「遍行(へんぎょう)」。

「遍(あまね)く行われるもの」という意味で、心が動くときに必ず働くといわれているものです。

多川俊映著「唯識とはなにか」(角川ソフィア文庫)には次のような説明があります。

  • 触(そく)・・・心を認識対象に接触させる
  • 作意(さい)・・・心を起動させる
  • 受(じゅ)・・・認識対象を、苦または楽、あるいは、そのどちらでもないと受けとめる
  • 想(そう)・・・受けとめたものを自己の枠組みにあてはめる
  • 思(し)・・・認識対象に具体的にはたらきかける

一瞬でこの五つのことが起きます。

医学的に証明されているものではありませんが、1500年間学ばれ続けているわけで、確かにそうかもしれないという納得感はあります。

もう一つは「随煩悩」というグループを更に三つに分けた中の一つ、「小随煩悩」。十種類あります。

これはまず「根本煩悩」というグループに、以下の三種類(説明は太田久紀著「凡夫が凡夫に呼びかける唯識」(大法輪閣)より)があるのですが・・・

  • 貪(とん)・・・自分と自分の境遇に執着する
  • 瞋(しん)・・・自分の気にいらぬものに腹を立てる
  • 癡(ち)・・・ものの道理のわからぬ愚かさ

・・・この三種類を、さらに十種類の具体的な働きとして分類したもの。

名称だけ書くと忿(ふん)、恨(こん)、覆(ふく)、悩(のう)、嫉(しつ)、慳(けん)、誑(おう)、諂(てん)、害(がい)、憍(きょう)です。

こちらもよく体系付けてまとめたなと思います。

以上が本を読むたびにすごいなぁ、と思ってしまうところです。