以前、個人的に唯識仏教のすごいなぁと思うところ、というブログを書きました。
それは何かといえば心の働き、心の作用の面を細かく分析した心所有法のことでした。心所は六つのグループ、五十一種類に分類されています。
それでは心の主体とは何かというと、唯識では心王といい、前五識(眼識、耳識、鼻識、舌識、身識)、第六意識、第七マナ識、第八アラヤ識という八識に別れています。
そして第六意識までが表層心理、第七マナ識以降が深層心理という重層構造になっています。
つまり心というのは、八識の心王に五十一種類の心所が付随して働いているということなんですね。
以前より唯識に対してワクワクする感覚を持っていたのですが、今日それが何か分かったような気がしました。仏教の教義にワクワクするというと不謹慎かもしれませんが。
例えば私が易経にワクワクする理由は何となく分かっています。
易経は八卦それぞれに複数の象徴的な意味を持っています。
その象徴を自分の占う内容に合わせて、自由にイメージを膨らませて行くんですね。
実際の占いでは64卦384爻という膨大な数の象徴を用います。
私は易経を学び始めて日も浅いので、基本の八卦でさえ理解できていないのですが、それでも広大なイメージの世界を目の前にしてワクワクしてしまいます。
このように、規模の大きな体系をもとにイメージを膨らませて何かを解明したり、何かを生み出したりすることは、私にはとてもワクワクすることなのです。
これはスクリプトを書いて、ツールやシステムを作ることにも当てはまります。
唯識の心王心所も同じ。
私は八識も心所有法もまだまだ理解できていませんが、いつの日か自分の心を見つめて「今この心王にこの心所が働いている」とイメージできるかもしれないと思うと、ちょっとワクワクしてしまうのです。