自分にとって当たり前だと思っていることを意識してみようと思います

今、ある会社から依頼されてアプリの説明書を書いています。

最初はその会社の社員の方たちが書かれるということだったので、私の会社の参考になりそうなアプリの説明書をお見せして、このように書かれるといいですよとお伝えしていたのですが、どうも上手く書けなかったようです。

その方たちは自社商品の資料などはいつも作られているのですが、説明書は作られたことがなかったようで、ましてやアプリの説明書は初めての経験。

それでは書けなくてもしょうがないだろうなと思います。

私は社会に出た頃からゲーム開発会社にいて、二十代後半から自分の担当するソフトを持っていました。

最初はライターさんにソフトの説明書を発注していましたが、開発費もそんなに割けないということで、途中から私が書くようになりました。

今思うと、最初はそのライターさんや他社ソフトのものを見よう見まねで書いていたのですが、クオリティーはひどいものだったと思います。

それでもそれが仕事でしたので、参考にする資料も勉強する時間も十分あったと思います。

あれからもう三十年ほど、数え切れないくらいソフトの説明書を書いてきました。

今でも完成度の高い説明書が書けているとはとてもいえませんが、それでもこの機能はこのような使用例が分かりやすそうだとか、画像編集ソフトを使ってこのような図を書いて・・・というようなことを頭の中で想像することはできます。

一時期、食品を扱っている商社のシステム部にいたとき、何度か取引先の食品加工工場について行ったことがあるのですが、もう見るもの聞くもの初めてのことばかりでした。

同様に音楽練習スタジオで働いていたとき、スタジオのコンセントが壊れて、同僚とブレーカーはどこだ工具はどこだ、と慌てふためいていたのですが、別部署の電気工事の専門家が来て、ブレーカーも落とさずにヒョイっとなおしてくれたのには心底驚きました。

そのようなことを考えてみると、経験のない人がアプリの説明書を書くのも同じことですよね。

これを機に、自分にとって当たり前だと思っていることを、もう少し意識してみようと思います。