易の本の解説にユングや河合隼雄さんの心理療法と同じような態度を感じました

河村真光著「易経読本」(光村推古書院)を少しずつ読み進めています。

易経の本は数冊持っているのですが、易占に寄ったのは銭天牛著「すぐに役立つ銭流「易経」」(棋苑図書)のみで、もう一冊易占寄りの本で違う解釈を知りたかったんですね。

解説を読んでいると、以前ブログに書いたライプニッツやユングが易と出会ったときのエピソードが、さらに詳しく書かれていました。最初からこの本を読んでいればよかった。

さらに易の解釈について書かれている箇所は、河合隼雄さんが心理療法を行う際の態度について書かれている箇所と、似たような印象を受けました。

「要するに卦辞にしても爻辞にしても、言葉をあまり理詰めに考えない方がよい。現実に即して、それを無理にあてはめようとする人がいるが、それはあまり良い方法だとは思えない。いっそ虚心になって、イメージとして浮かび上がるものを摑む以外にない。私は易の言葉の多くは、易の作者が、潜在的な無意識層の思考を、言葉として表したものだと思えてならない。私たちがよく見る夢のように、それは時間と空間の制約されない異次元の世界である。 (中略) 果たしてその夢をどのように判断すべきか、つまり易の言葉を解釈するにはこれと同じ要領である。」

先日ブログに書きましたが、河合さんが日本に箱庭療法や夢分析を導入する際に、治療者は患者さんの提示したイメージを独自に解釈するのではなく、共に鑑賞するような態度を持つことを強調されたそうです。

そもそも河村さん自身、ユングのイメージに対する解釈力にリスペクトされているようで、ユングが「独創的かつ創造的な解釈を行うことにより、易は初めて始動し、輝きを見せると確信していた」ことに共感されています。

なので先程書いたように、河村さんの解説に、私はユングや河合さんの心理療法と同じような態度を感じたのだと思います。