昨日は、マインドフルネスの普及活動を行っているベトナムの僧、ティク・ナット・ハンさんの「ブッダの〈気づき〉の瞑想」(野草社)のことを書きました。
大乗仏教の方なので、この本にはたびたび唯識のことも触れられています。
例えば、「欲求を観察する」というエクササイズには、「何かを欲しいと思うとき「心は欲しがっている」と気づき、欲しいと思わないとき「心は欲しがっていない」と気づく。」から始まって、「憎んでいる/憎んでいない」、「緊張している/緊張していない」・・・のように、いろいろな心の状態を観察する瞑想のことが書かれています。
そしてバッディーヤというブッダのお弟子さんが、このような瞑想によって無欲な生き方をするようになり、幸福と平安を味わったというエピソードが語られています。
最後には「唯識学派では、「無欲」-----あるものを切望する欲求の不在-----を十一の健全な思いの形成のひとつにあげています。」という説明とともに、脚注にその十一種類の内容と「このうちで無貪が無欲にあたる。」という解説があります。
これは唯識の善の心所のことですね。
私は唯識の解説書を読むたびに、その緻密な理論体系に圧倒されるのですが、それをどうやって生活に活かせばいいのかは、今ひとつ分からないでいました。
なのでこの本のように、瞑想の説明に対応して唯識の解説がされていると、唯識を生活に活かすヒントになりそうな気がします。
そのあたりを意識しながら、この本を読み返してみようと思っています。