同じ時期に易と仏教の本で似た記述を見つけたので印象に残りました

何度か書きましたが、易経を覚えるために毎日「今日はどのような日になるでしょうか」と易を立て、その卦(か)と爻(こう)の解説を読んでいます。

昨日の卦は火山旅。「旅行」の旅です。といっても物見遊山ではありません。

河村真光著「易経読本」(光村推古書院)によると、「心の旅路であり、それも失意の旅立ちである。」とあります。以下、抜粋です。

「何かの理由で、これまでの安住の地にいられなくなり離れる。たいていは得意の絶頂から失意のどん底に移行した時だから、何をするにも当然苦しい。となると易の出番である。 (中略) 易は偶然を否定し、あらゆる事象を必然とみなすので、得意・失意の時期も四季が巡るように循環して止まないと考えている。これが基本である。 (中略) 要するに得意も失意も永久に続くことはない。易は、失意の時期は、過ごし方一つで、逆に好機でもあると説く。」

易の考え方がよく分かりますね。

今まで、怒りなどでイライラしているとき占ってもいい結果だったり、優しい気持ちでいるとき占っても悪い結果だったりで、易はニュートラルだなと思っていました。

なぜこのようなことを書いたかというと、先日購入したティク・ナット・ハンさんの「ブッダの〈気づき〉の瞑想」(野草社)に似たような記述があったからです。

以下、「エクササイズ20 安らぎの種を蒔く」という章からの抜粋です。

「相互依存的生起(縁起)の法則に照らせば、この種の性質は不変ではありません。ひとつの種が存在するには他のすべての種が必要であり、どの種を見てもそのなかに他のすべての種が存在します。どの不健全な種にも健全な種の芽があり、健全な種にも不健全な種の芽があります。 (中略) つまり、人生でもっとも困難な時期、これ以上ないという苦しみのときでさえ、心のなかには安らぎや喜び、幸せの種があるということです。」

これは、気づきの瞑想を行うためのイメージの一つとして書かれています。

どちらも人生でマイナスのときはあるので、それを受け入れ、対応して行くことの必要性が書かれています。

たまたま同じ時期に似ている記述を見つけ、印象に残ったので書いてみました。