先日ティク・ナット・ハンさんの「ブッダの〈気づき〉の瞑想」(野草社)という本に、大乗仏教の唯識のことが触れられていると書きました。
例えば「欲求を観察する」というエクササイズがあること、ブッダのお弟子さんがそのエクササイズを行うことで無欲な生き方をするようになったこと、唯識学派には十一の善の心所があり、その中の無貪というのが無欲にあたる、というようなことです。
今まで、唯識をどうやって生活に活かせばいいのかよく分からなかったのですが、ティク・ナット・ハンさんの本を読むとそのヒントが得られそうな気がしてきました。
そこで同じ出版社の「ブッダの〈呼吸〉の瞑想」という本を注文してみました。
すると、さらに具体的な方法が書いてある箇所がありました。「第三節 四種の気づきの確立(四念処)」の中。以下、抜粋です。
「恐れは心によって作られるものです。それは、無智などのいくつかの要素から成り立っています。絶望、苦悩、執着、愛情、さらに気づきも、すべて心が作るのです。私が学んだ学派では、これらの心的形成には五十一種あると教えていました。気づきの呼吸を行えば、心にさまざまな思いが浮かび上がるたびに、それをつぶさに見つめることができるようになります。恐れが姿を現わすこともあるでしょう。 (中略) うまくいけば恐れは静まり、深く見つめることによって、その本質をつかむことができます。恐れの洞察は、恐れを変化させてくれるのです。」
本当ですか。
この「五十一種」というのは、唯識の心所有法のことですね。
唯識の解説書には、五十一の心所が一つひとつ詳しく説明されていて、読むたびに「確かに心当たりがある」と感心するのですが、じゃあ日頃から各心所をどのように観察して、どう対処して行けばいいのか疑問だったのです。
これはいいことを知りました。
すぐにできるようにはならないと思いますが、少しずつ試してみたいと思います。