ユングの心理療法の本を読むとユングが易を利用した理由が分かるような気がします

今日C・G・ユング著「心理療法の実践」(みすず書房)の「医学と心理療法」という章を読んでいました。

これは「1945年5月にチューリッヒで行われたスイス医学アカデミー評議会での講演」を収録したものです。

なので、「医師の方々を前にしてお話しするとき、私はいつもある種の難しさを覚えます。それは一般的な医学と心理療法の間に存在する、病理に関する見解の違いに橋渡しをすることの難しさです。」という書き出しから始まっています。

この章は、その「見解の違い」を説明するために費やされているのですが、以下に一部を抜粋してみます。

「そして最後に治療の中で、医学一般に当てはまるものの見方との最大級の違いが明らかになります。身体疾患であれば、診断をもって特定の治療方針も確定する一連のものがあります。ある病は決まった手段でしか治療できません。けれども精神神経症には、それとはまったく逆のことだけが当てはまるのです。 (中略) ここで注目すべきなのは、どの治療行為も何らかの神経症に関しては望ましい効果を発揮しうるということです。 (中略) 心理療法家であれば誰しも、もしも何かができるのならば、意識的にせよ無意識的にせよ理論から離れて、時にはその人が持つ理論の中にはまったく存在しないあらゆる手段をとる場合があるはずです。」

そして河合隼雄さんの本にも書かれていたように、「フロイト的な観点も、アードラー的な観点も」「避けて通るような真似はしない」とあります。

河合さんの臨床例を読んでいると、確かにあらゆる手段をとっているように感じます。

医学的な知識を前提としつつ、このような態度で患者さんに臨まなければならない心理療法家の方は、確かに大変だなぁと思います。

ユングのこのような発言を見ると、ユング派の人たちが易を利用していたというのも分かる気がします。

易は一つの世界(卦(か))に、それぞれ六つのストーリー(爻(こう))があります。卦は計64あるので、全体で384のストーリーが存在することになります。

河村真光著「易経読本」(光村推古書院)には、卦辞や爻辞の「言葉をあまり理詰めに考えない方がよい」とあります。「いっそ虚心になって、イメージとして浮かび上がるものを摑む以外にない」と。

そして河村さんは、易の言葉の多くは「潜在的な無意識層の思考を、言葉として表したもの」ではないか。それは夢のような異次元の世界なので、「果たしてその夢をどのように判断すべきか、つまり易の言葉を解釈するにはこれと同じ要領である」といいます。

私も心理療法家であれば、易占いをするというよりは、易のアイデアを大いに利用するんじゃないかと思います。