実社会での行動は易経が参考になり、怒りや不安の心は仏教が癒してくれます

今日は竹村牧男著「「成唯識論」を読む」(春秋社)を読んでいました。

一昨日と昨日はユングと易経を主題とした本を読んでいたのですが、世の中新型コロナウイルスの話題ばかり。

外出自粛が続き心がめげている状態なので、ちょっと癒し系のものを読みたくなったのでした。

易経と唯識。どちらも潜在意識と対話するものであっても、易経の場合は実社会に反映することになりますが、唯識の場合はどこまでも心と対話します。

そして、私は両方とも重要だと思っているのです。

以前ブログに書いたように思うのですが、実社会での行動は易経がとても参考になります。

私は学生の頃はいうに及ばず、社会人になってからも仕事上でいろいろな失敗をおかしてきたのですが、もし易経を知っていれば未然に防げたと思うことはたくさんあります。

とはいうものの、じゃあその頃の自分に易経というものがあると教えたら学んでいたかといえば、絶対興味を持てなかったと思います。

やっぱり興味を持てる歳まで待つ必要があったということですね。

そして易経でどう行動すればいいか分かった、しかし心の方は・・・怒りや不安の心をどう解消すればいいか分からない。

怒りや不安の心は仏教の瞑想や唯識が癒してくれます。

瞑想についてはティク・ナット・ハンさんの本、「ブッダの〈気づき〉の瞑想」と「ブッダの〈呼吸〉の瞑想」(共に野草社)が私にはとても効果がありました。

冒頭にあげた「「成唯識論」を読む」で今日読んでいたのは、仏教の心理分析といわれる心所有法の箇所です。

善や煩悩の五十一種類の心の働きが、実に細かく描写されています。

人の心は千五百年以上前から変わっていないな、と思いながら読んでいると、いつの間にか心が落ち着いているのです。