古典を読むことの効用を語る著名人は多いです。
出口治明さんなどは、思考のプロセスを追体験をすることが重要だと仰います。
確かに、出口さんが推薦されている「国富論」や「種の起源」を読んでみると(どちらもまだ一巻しか読んでいませんが・・・)、よくあの時代に、誰も発表していないことをこれほど体系的に書き表せるな、と心底驚きます。
とはいうものの、古典といっても膨大な数がありますよね。
「聖書」や「論語」など、人類の遺産のような本だけでも、かなりの数があります。
一つの考え方として、「座右の書」と形容されるように、一冊を繰り返し、自分の血肉となるくらい読み込むことが大事だという方がいますね。
一方で、複眼的なものの見方を養うために、幅広いジャンルの本を読むことを勧める方もいます。
そして、これが一番大事なんじゃないかと思うのですが、面白くないと続きません。
私の場合は、中学生だったか高校生だったか、文学の名作くらいは読まなければと薦められて、夏目漱石の「吾輩は猫である」を買って読んでみたのですが、当然ながらすぐに挫折しました。
淡々と主人公の日常が語られるだけで、面白くもなんともない。
ところが四十代になって、当時買った文庫本をふと手に取って読んでみると、これが面白い。最後まで読んでしまいました。
淡々とした日常に耐性ができていたのかもしれません。
この経験以降、何冊か古典を読んでみて、年を取れば自分の好みに合うものならば読めるようになる、ということがわかりました。
「自分の好みに合う」というのがポイントで、私の場合は、戦闘シーンが延々と続く「イリアス」や、難しい漢字の人物がこれでもかと登場する「史記列伝」などは無理でした。