興味のつまみ食いを楽しむには条件があるようです

小松和彦さんのような民俗学などの学者さんは、仕事として関わっている研究テーマや論文の執筆などがあるでしょうから、アマチュアの私のように、興味の赴くままにフラフラと寄り道することはできないと思います。

先日から少しずつ読んでいる、赤坂憲雄さんの「境界の発生」には、村の境界にあるサイの神、道祖神の話が出てきます。

元々はアニミズムが原点だったのでしょうが、男女の像が彫られたものは中国の陰陽思想の影響でしょうし、私の実家の近くにあった恐ろしい形相の立像が彫られたものは、道教の庚申信仰だと思います。

村の境界にあるお地蔵さんも道祖神信仰と結びついたものといわれているようですね。

民間信仰ですから、ありとあらゆる信心が習合されて行く可能性があると思います。

道祖神の話ひとつとっても、これだけ多様な庶民の信仰や生活を研究できそうですので、興味さえ続けば、いくらでも楽しめそうです。

しかし、このように寄り道を楽しむためには、条件があるのではないかと思っています。

「さあ、才能(じぶん)に目覚めよう」(日本経済新聞出版社)という、自分の五つの強みを見つける有名な本があるのですが、私にはその五つの中に「収集心」という資質がありました。

知りたがり屋で、収集するのが大好きらしい。

最初は「収集心」なんて何がいいんだ?と少し不満だったのですが、それなりに恵まれたおめでたい性格かもしれないと、最近考えるようになりました。