昨日は、民俗学などの学者さんは仕事上、興味の赴くままにフラフラと寄り道することはできないだろうな、というお話をしました。
私が興味を持っているのは人の心に関することなのですが、漠然としすぎてカテゴリーに分けることもできないと思います。
心理学、民俗学、歴史、・・・小説も好きですし、どれも恐ろしく広く浅い関わり方です。
そう考えてみると、科学はその対極にあるような気がします。
以前、V・S・ラマチャンドラン他著の「脳のなかの幽霊」(角川文庫)のお話をしたと思うのですが、面白い実験結果よりも、客観性を保つための実験の準備の方に驚きます。
有名な、福岡伸一さんの「生物と無生物のあいだ」(講談社現代新書)や、本川達雄さんの「ゾウの時間 ネズミの時間」(中公新書)のような本でも同じことを感じます。
このような科学者の方々の実験のおかげで、病気になったときも安定した治療が受けられるのですね。
先日、小松和彦さんの「悪霊論」(ちくま学芸文庫)を読んでいたら、ちょっとびっくりすることが書いてありました。
平安時代、病気の治療のために密教僧が加持祈祷を行っていたのですが、その際、「憑坐(よりまし)」と呼ばれた霊媒も同席します。
祈祷が始まると、憑坐の口から悪霊が病気の原因を語り始める。
密教僧はその原因を取り除くことで病人の病気も治癒する。
この一連のプロセスはシステム化されていたらしいのです。
当時私が病人の立場だったら、このような祈祷を受けた直後は、プラシーボ効果で治った気になったに違いないと想像してしまいます。
人の心に興味は尽きません。