以前どこかで、いくら得意なことを仕事にしようといっても、金魚すくいを一生の仕事にはできないだろう、というような文章を読んだことがあります。
なるほどと思う一方で、上手いマーケティングを絡めるなどすれば、金魚すくいも仕事として成り立つんじゃないかと思ったものです。
見た方もいらっしゃると思いますが、UFOキャッチャーがとんでもなく上手い方が、自分の技術の限界に挑戦するテレビ番組があったのですが、その出演料なんて、かなりのものなのではないでしょうか。
金魚すくいの天才も、UFOキャッチャーの天才も、10歳のときに本質を悟ったのかどうかは分かりませんが、私も実はあまり知られていない分野で天才であって、子供の頃に本質を悟っていたならば、人生も変わっていたかもしれないと夢想してしまいます。
改めて加藤九段のツイッターを見返してみると、本質を悟ったのは「10歳のとき新聞の観戦記に触れ」たときだと仰っています。
幼稚園のころ、将棋で大人に勝ってばかりいて、対戦相手がいなくなったほどなので、周りに技術を指導できる大人は存在しなかったんですよね。
つまり、天才が道を見失うという段階があるわけです。
そんなときに、新聞でプロの観戦記に触れて、何かの天啓を得たということだと思います。
ということは、今までの人生で、周りに指導者もいなくなるほど突出した才能が一つもない私は、これからも「本質を悟る」ことはないのでしょう。
しかしその一方で、将棋のように勝ち負けがあるということ自体、社会性のある分野ですよね。
そんな社会性のない、自分しか知らない分野では、誰もが突出した才能を発揮しているんじゃないかとも思っています。
そのことについて、もう少し考えてみたいと思います。