コンピューターには技術さえ身に付けば参加資格が手に入るイメージがあります

昨日、私は自分がパソコンを好きな理由をなかなか上手く説明できない、ということを書きました。

毎晩、寝る前にiPadでWEBブラウジングをしたり、Evernoteに気付いたことをメモしたりしているのですが、Windowsタブレットで同じことをするのに比べて快適だと思います。

しかし、パソコンがない環境に持って行くとしたらWindowsタブレットの方を選びます。

それはファイルを開いたり、ちょっとしたスクリプトを書いたりしなければならなくなったとき、パソコンのように使えるという安心感があるからです。

もちろんiPadでも大抵のことはできると思いますし、私に知識が不足しているだけなのでしょうが、やっぱり作業するためのツールがいろいろ揃っていることは、保険が利いている安心感があります。

私が始めてパソコンを買ったときのことを思い出してみると、最初は音楽で使うためにMSXパソコンを買い、次に大学の卒論で使うためにNEC PC-9801を買いました。

パソコンの知識はあまりなかったにもかかわらず、自分にとってPC-9801の何でもできる感は圧倒的でした。

用途も価格もまるで違う二台ですので当たり前ですが、買う前からワープロの一太郎とか、表計算のロータス1-2-3とか、データベースのdBaseのようなソフトがあるという情報は知っていたんですね。

それらのソフトをどのように使うか分からないうちから、技術を覚えさえすれば、その世界に参加する資格が手に入るという期待だけは膨らんで行くわけです。

ですので最初に戻りますが、なかなか上手く説明できないパソコンの魅力というものの一つに、これも含まれているんだろうなと自分では思っています。

それを突き詰めて行くと、昨日お話したように、ソースコードさえ改変できるLinuxというのは最強じゃないかと考えています。