宗教がなくなった時代の方がより豊かな想像の世界を持っているのかもしれません

森毅さんや三田誠広さんの本をざっと読んでみて、まだ内容は消化できていませんが、17世紀以前も今の時代も人の心は変わらないという印象だけは受けました。

三田さんの「ダ・ヴィンチの謎 ニュートンの奇跡」(祥伝社新書)によれば、民衆を支配していた宗教、カトリックは神父のいうことだけを信じていればよく、神の原理=科学原理を追求するダ・ヴィンチ、ニュートンのような科学者たちを神秘主義者として否定した。

しかし科学者たちは、神を信じるがゆえに神の原理=科学原理を追求したのだ、ということをおっしゃっています。

森さんの本もそうですが、これらを読む前はニュートンのような17世紀以前の数学者、物理学者は、錬金術のような怪しげなオカルトも研究した魔術師のようなイメージも持っていました。

実際はそうではなく、宇宙の原理を真摯に追求していたらしい。

オカルトのイメージなんて後世の人の脚色ですよね。

以前も、安倍晴明の実像と後世のフィクションに彩られた姿との違いを書きましたが、それと同じです。

ニュートンの時代は産業革命の前の世紀、生活の中にまだ宗教が大部分を占めいていたと思います。

それなのに、21世紀の人間である私が17世紀の科学者に何を期待していたんだろう、と。

現代の日本人は無宗教といわれながら、子供の頃には七五三で神社に行き、神前で結婚式を挙げ、死んだら仏式で葬式をする。

占いは廃れる気配はありませんし、いつの頃からかパワースポット巡りなる言葉もすっかり定着しています。

人の心には神秘的なもの、スピリチュアルな要素というものは、ある程度必要なものなんだろうと思います。

そういう意味では、生活の一部として宗教があった時代のスピリチュアルに対する想像力と、生活から宗教がなくなった時代の想像力を比べると、心が渇望している分、後者の方がより豊かな想像の世界を持っているのかもしれません。