外山さんのコラムを読んで、考えていないのは本に限ったことじゃないと分かりました

今までこのブログで、私は昔から一つのことに集中できず、興味の赴くままにあっちフラフラこっちフラフラしてしまう悪い癖があることを何度も書いてきました。

昨日インターネットで外山滋比古さんの「読書が役立つのは30代まで」というコラムを読んで、最近ライプニッツの生きた時代背景とか神秘思想への関わりのような本を面白がっていたことに、「ああ、また悪い癖が出た」と反省しました。

肝心のライプニッツの哲学の本を読み返すこともせず、自分の考えを深めることもしていませんでした。

外山さんのご指摘通り、人が書いている知識ばかり取り入れて安心している。自分がない。

興味のあるものの周辺ばかりに手を出して、その中心(本体)をおろそかにしてしまうんですね。楽をしているんだと思います。

これも以前書いたことですが、ある会社にIT関連業務全般のお手伝いで出向していたとき、「あなたの専門は何ですか?」と聞かれて答えられなかったという話をしました。

パソコンを触るのは好きなので、とりあえず広く浅く知識は吸収する。便利屋さんでしかないわけです。

これがプログラマーやシステムエンジニアとしてその会社に出向しているのであれば、即返答できたと思いますし、それ以前にその方はそんな質問をする必要もなかったと思います。

例えばですが、私がそのとき趣味としてでもWEBアプリケーションフレームワークにはまってWEBアプリをいくつもリリースしていたり、Excel VBAが好きで知人にスクリプトを組んで喜ばれていたりしたならば、「専門というわけではないのですが」と前置きをしてでも、それらが「得意なのでお役に立てます」と自信を持って答えることができたように思います。

外山さんのコラムを読んで、本に限ったことではなく、知識は考えないことの隠れ蓑のような気がしてきました。