今ある情報の中で生活しているという意味では、親の世代も私たちも変わりません

最近、少子高齢化の影響を予測した本やサイトのことを書いているせいか、昨日軒先に置いていた燃えないゴミが、野生の犬か猫に凄まじく食い荒らされていたことに、自分が高齢者になったときの生活が思いやられました。

私の親が今の私の年齢の頃は、少子高齢化社会になったときのことなんて想像すらしていなかったと思います。

親の世代がローンでマイホームを買った時期は、高度経済成長期が終わるか終わらないかくらいじゃないでしょうか。

今のような世の中が来るとは思っていないでしょうから、自分たちがローンを組める範囲で、単に気に入った場所を探したと思います。

私の親が買ったのも、当時は田んぼと原っぱしかない福岡市の外れにできた新興住宅地で、安い割りに庭が広いので買ったようなところだと思います。

幸い歩いて10分から20分くらいのところにスーパーが数件あるので助かっていますが、それでもお米やウーロン茶のペットボトルを買ったりすると配達してもらいます。

山の斜面に建っている住宅地にマイホームを買った親の兄弟もいます。

駅に行くにも買い物に行くにも不便なためか、80代の今でもマイカーを手放していないようです。

当時の若い夫婦は、自分たちが高齢者になったときのことをあまり考えていなかったのでしょう。

考えてみれば、私の親やその兄弟は戦時中から戦後生まれで、日本が焼け野原から復興する姿しか見ていません。

繁栄が終わった世界なんて、考えてもみなかったのは当然だと思います。

さらにいえば、昔は親と長男夫婦が同居するのが一般的だったようですし。

親はそのような光景を見て生活してきたわけですよね。

私たちは今流れている情報や世の中の光景を見て生活しています。

その意味では私たちも親の世代と変わりません。

いざ自分たちが高齢者になってみると、こんなはずじゃ・・・という世の中になっているかもしれません。