どの時代に生まれたかったかは生きている最中に決められるものではなさそうです

日本代表の活躍もあり、ワールドカップがとても盛り上がっていますね。

ニュースでこれほど長い時間取り上げられることも、今まであまりなかったように思います。

素人の私が見ていても日本の選手はすごいなと思いますし、解説をする方々の意見も「なるほど」と納得させられることばかりです。

ずいぶん昔ですが、Jリーグが開幕して日本中が注目していたとき、元サッカー選手の解説者が「もっと遅くに生まれたかった」というような発言をされていたことを思い出しました。

私の子供の頃を思い出してみても、サッカーの試合の観客はそれほど多くなかったように記憶しています。

人は生まれてくる時代や場所は選べないといいますので、こればかりはしかたありません。

サッカーの盛り上がりからこんなことを考えてしまったのは、最近少子高齢化の影響や人生100年時代のことが頭から離れないせいかもしれません。

私の親や親戚の叔父さん、叔母さんの世代は、定年60歳でちゃんと年金も出ている世代です。

受験や就職のときのことを聞いても、戦後の混乱期のせいか、受験戦争や就職難という言葉からは程遠い牧歌的な時代だったようです。

じゃあその世代と代わりたいのかと問われれば、やはり戦時中や戦後間もない時期は本当に大変だったと思いますので、とても代わりたいなんていえません。

先日書いたように、私はバブル入社組より少し前の世代です。

バブルを経験できたのでいい時代に生まれたね、といわれても、この世代のよくない方の評判も知っていますし、学生の頃からしっかりしている今の若い人たちを見ていると、正直引け目を感じてしまいます。

少なくとも、どの時代に生まれたかったかは、生きている最中に決められることではなさそうです。