「死ぬときに後悔する○○のこと」がないとしたら何を思うのか考えてしまいました

今日インターネットを見ていたら、ダイヤモンド・オンラインでちょっと驚くコラムを見つけました。

話題になった本「定年後」(中公新書)の著者、楠木新さんのコラムで、驚いたのはこの本から抜粋されている次の部分。

京都大学で日本人の往生感を研究しているカ―ル・ベッカー教授の講演を聞いたことがある。功なり名を遂げた人に臨終の前に「自分の誇れるものは何か」とインタビュ―すると、仕事や会社のことを話す人はいないという。大半が「小学校の頃、掃除当番をきっちりやった」など幼い頃の思い出を語るらしい。

以前このブログで、「死ぬときに後悔する○○のこと」というような本について書いたことがあります。

ネット上にも同じようなコラムを見かけますが、「行きたい場所に行かなかったこと」とか「やりたいことをやらなかったこと」など、似たような項目が挙げられていて、ああやっぱりほとんどの人が同じようなことを後悔するのか、とても考えさせられました。

逆にいえばそれらを叶えることができた人たちもいるのでしょうから、そのような人たちは、少なくとも死ぬときにこのような後悔はしないわけですね。

ですのでこのような本やコラムを読んだ人は、元気なうちに旅行しておきたいとか若い頃の夢をもう一度追いかけたい、というようなことを考えるのでしょう。

私はそうでした。

ところがこのお話と楠木さんのお話が、私の中でこんがらがってしまったんですね。

楠木さんのお話の中のインタビューをする側の人が「功なり名を遂げた人」だと思っているだけで、受けた本人はそう思っていない場合、やりたいことをやらなかったために後悔しているということはあり得るでしょう。

しかし一方で、自他共に「功なり名を遂げた」と認めている人が、やりたいことをやらなかったために後悔しているということはあり得るのでしょうか?つまり、功を成すために努力したことが「やりたくないこと」だった人。

「・・・とインタビュ―すると、仕事や会社のことを話す人はいないという。」というくだりから判断して、自分の目標に対して努力して、自他共に「功を成した」と認めた人たちにインタビューした、と素直に考えていいような気もします。少なくとも「やりたくないこと」のために努力した人たちではない。

だとすれば、「自分の誇れるもの」が「幼い頃の思い出」だというのはとても驚くべき回答だと思ってしまいました。