外の世界から見ると楽なようで中の世界ではとても大変なことはよくあります

太田久紀著「凡夫が凡夫に呼びかける唯識」(大法輪閣)という本の中で、著者の知人の方が「我々仏教者はいいことばかりやっていればいいから楽だ」というようなお話をされたエピソードを紹介されていました。

ページ数の多い本なのでどこに書いてあるのか探しきれず、本当に大まかな記憶なのですが。

このエピソードには、私のような仏教者ではない普通の人がよくない行いをして煩悩を重ねることで、結果的に苦しい人生を歩むことにならないように、注意を促す意味もあるのだろうと思います。

それに「楽だ」とはいっても大乗仏教のお坊さんのことですので、ただ悪いことをしないように生活していればいいという話ではなく、衆生を救うべく厳しい修行をされるのだと思います。

唯識は「五位の修行」といって、悟りを得るために気の遠くなるような時間をかけて意識を変容させて行く修行をするようです。

最初このエピソードを知ったときは、「この人のように考えていれば楽でいいかもしれないな」なんて呑気なことを考えていました。

ところが本を読み進めて修行の内容を知れば知るほど、とんでもない思い違いだということが分かってきました。

実はこんな話を思い出したのは、昨日書いたように、プログラミング言語の世界が今大きく動いているからなんです。

仏教とITなんて正反対のようなジャンルですし、接点は一切ないように思いますが、外から見る世界と違って中から見る世界はものすごく変化している、という点では似ていると感じたのです。

ちょっとまとめきれないので明日に続きます。