余命宣告の仮定は手を広げすぎることを戒める口癖に使えるかもしれません

昨日は余命を宣告されたと仮定して遺書を書いたとして、自分の本当にやりたいことが分かるだろうかというお話をしました。

余命宣言というのは数ヶ月、長くても一年くらいのものでしょうか?そのくらいの期間で、例えば子供の頃の夢を叶えるために行動しても現実的には難しいでしょうから、本当にやりたいことが分かるというよりは、人生の目標のようなものを持っている人にとってそれを再確認するくらいのことには役に立つかもしれない、という内容でした。

しかし今日考えていたのは、余命宣告の仮定は、自分の悪い癖である手を広げすぎることへの戒めに使えるかもしれないということ。

手を広げすぎるというのは、例えば将来仕事に結びつきそうなことを思い付いたら熟慮せずにすぐに始めてみたり、これを身に着けたら仕事にプラスになるかもしれないと新しいジャンルの本を買ってしまったり、みたいなことです。

このような本なんて買って読んだところで未消化に終わる場合がほとんど。私と同じような人は多いと思います。

ここ数日もやることがいろいろあるのに、気が付いたらそのような本のAmazonのブックレビューを読みふけっていました。

そんななか余命宣告の仮定を思い出したわけです。

もし余命宣告されたとしたら、このように手を広げている場合じゃないぞと。

そしてこのブログで何度かその効用を書いてきたように、口癖にすることを考えてみました。

余命宣告まで持ち出さなくても、私の親や知人を見てきて何とかビジネスを回して行けるのは70代くらいまでだと思います。この年になって次々に新しいことに手を出していいはずはありません。

今度の口癖は潜在意識も納得してくれて、定着するでしょうか。