嫌な気分もついやってしまう好きな世界を豊かしてくれるんじゃないかと思います

この二日ほど、ついやってしまうことをやれる時間を増やせば、その分幸福になれるんじゃないかということを書いています。

誤解されると困るのですが、悩みグセのある人が小さなことでつい悩んでしまって暗い気持ちになる、というようなこととは違います。

ここでいうついやってしまうことというのは、少なくともそれをやっていて嫌な気分にならないことです。

「やらなければ」という意志の力ではなく無意識にやってしまっていて、ふと我に返ると嫌な気分ではないのですから、心が望んでいるんですよね。

もちろん、つい悩んでしまう人がふと悩んでいることに気がついて、「楽しいな」、「ワクワクするな」と感じるならば、私のいっていることに当てはまります。そのような人はあまりいないとは思いますが。

ただいくら好きでも嫌な気分になるときはあるんじゃないか?

例えば小説や脚本など、頭の中にストーリーを描くのが好きな人がいて、話の流れの中でどうしても自分の嫌な思い出に触れるような展開になったときに、嫌な気分になるんじゃないか・・・。

しかし、それはその人にとってどんなときでも嫌な気分になる思い出であって、頭の中にストーリーを描く行為とは関係ありません。

私もついやってしまうことでこれと同じように嫌な気分になることがありますが、長い目で見ると、そのおかげでついやってしまう自分の好きな世界がより豊かになって、結果的により好きなことになるんじゃないかと思っているのです。