若桑みどりさんの「絵画を読む イコノロジー入門」(NHKブックス)にボッティチェッリ「春」の章があります。
この作品が新プラトン主義や人文主義の影響を色濃く受けていることを解説しているのですが、このような思想に対して画家や美術史家がどのような印象を抱いているか、若桑さんが説明されている箇所があります。
これが私には目からウロコで、長年美術に向かい合った人にしか語れない内容なんですね。ちょっと長いですが抜粋してみます。
「絵を好きであったり、あるいはそれを研究しようと思っている人間は、必ずしも哲学的なことや、文献学的なことが好きではない。したがって、画面の美しさを見て感動するだけではなく、難解な思想や哲学を参照しなければならないのは苦痛であるかも知れない。このことから、私の先輩や同僚の学者のなかにも、そのような探索を無意味だという人がいる。かれらはしばしば、頭の単純な画家がそんなに難解なことを考えていたはずがないと言う。実は私も画家には画家の固有の頭脳があって、それは哲学者のそれではないと思っている。画家は、哲学者のようには考えなかったであろう。もし、そうであったならば、彼は哲学者になっていたであろうから。だが、画家は、まさに哲学者が考えられないようなかたちで、やはり考えたのだ。画家だけが考えられる形式で、彼は考えたのである。それはイメージによる思考である。」
面白くないですか?
私も知りたいことがあれば、哲学の解説書を苦労しながら読むことがあるのですが、とても哲学を職業にしようなどとは思いません。
しかし美術の専門家はそんなこともいっていられないだろうから大変だな、と思っていたんですね。
若桑さんはこれに続けて画家の思考とはどのようなものかという興味深い解説をされて、最後に芸術学に携わる方がどのような態度で仕事をされてるかを次のように述べられています。
「思想と画面と、この双方の間に橋を架けることがわれわれのしごとである。観察と直観とがなければいくら知識があっても絵画を理解したことにならないのである。この意味では、美術史は知性と感性の双方がひとしく要求される学問である。だがそれは文学研究、音楽学などすべての芸術学において言えることである。」
以上、芸術を仕事にしていない人にとって、このような話はめったに聞けるものではないと思いましたので、ご紹介させていただきました。