モノを所有するというのはストレスが溜まる行為なのかもしれません

先日書いた、壊れたプリンターとCDプレーヤーとFAXの回収を業者さんにお願いした件ですが、明日来ていただけるというので、今日取り外して用意を済ませました。

CDプレーヤーなんて、セッティングした場所から取り出すのは二十年ぶりくらいです。埃がこびりついてベルベットの生地のようになっていました。

置いていた場所にスペースができて随分スッキリしました。

壊れたものはすぐ処分すればいいのですが、自分に向かって「いつか修理するかもしれないし・・・」みたいな言い訳をして、つい放置してしまいます。

でも、スペースができたときにスッキリした気分になるということは、少なからずストレスが溜まっていたんじゃないかと思います。

モノを所有するというのは、置く場所を必要としますのでコストもかかります。

必要なものはしょっちゅう必要になりますが、必要な時期を過ぎると急に使わなくなったりもします。

フロッピーディスクなんて、かつてはバックアップも含めいくらあっても足りなかったんですが、ハードディスクが普及したら大量に余ってしまいました。

一時期ペーパーレス化といって、オフィスの紙の資料をデジタル化することによって、探す手間や置くスペースを省くことを奨励する風潮があったと思います。

それを実践している知人もいます。名刺やパンフレットなどを瞬く間にスキャンしてくれるスキャナーもありますよね。

ただ必要だと思って、名刺やパンフレットなど莫大な枚数をデジタル化したあとに、ほんの一部だけしか必要じゃなくなったときが来たら、それはそれでストレスが溜まりそうです。

そう考えると、モノを所有するというのはストレスが溜まる行為なのかもしれません。